キーンが戻ったとの知らせがもたらされた時、メルフィメール城内は騒然となった。
　あてにしていなかった『男』の生還は、それだけで予想を大きく裏切った結果になっていたのだが、先行して入ってきた情報によって、彼が任務を達成していない事が知らされると、その驚きも落胆へと変化した。
　それは、帰還＝魔王討伐と言う単純極まる発想が一同に定着していたためである。
　その結果、今回の帰還は敵前逃亡との噂が飛び交い、結局、彼もその程度でしかなかったのだとする言葉が横行した。
　しかしその嘲りも、彼が二名の女性を伴って現れた事によって、再び覆される。
　ミアとファーラ。そして彼女に先行して開放されていたエル。一部とはいえ塔内に囚われの身となっていた兵士達の救出・・・・これは本来の目的とは異なってはいたが、彼女等がこれまで幾度となく挑み、未だかつて達成されたことの無かった事であり、それをやってのけた事実を前にして、城内の者達は嫌でもその評価を改める必要に直面したのだった。

「任務遂行中に保護しましたので、送り届けに参りました」
　僅か数時間前に赴いたばかりにも関わらず、目の前の男はかなりくたびれた様子だと、フレイアは思った。実際、戦闘経験などあるはずのない彼女に、キーンの激闘・苦労を察しろというのは無理なことだろう。
「その様な事は、依頼内容にはありませんでしたが？」
「ええ、ですが、見過ごすわけにもいかなかったので、とりあえずお連れしました。当然、これに関しては報酬は要求しません」
「ならば、これで用は済んだのですね。では即刻、塔に赴き、本来の目的を達成なさい」
（人使い荒い・・・・）
　うなだれながらそう思うキーン。『ありがとう』と言われないまでも、『ご苦労でした』の一言を密かに期待していたのだが、やはりその望みも叶えられなかった。
　初対面の時から感じていた事であったが、彼女の女性上位主義は筋金入りだと言える。
　無言のまま頷き、謁見の間を後にしようとしたキーンは、振り向く一瞬の動作で周囲を見回し、その場の中にルシアがいる事を確認すると、意味ありげな笑みを浮かべた。
　ルシアの方もそれに気づき、周囲に悟られない程度に頷いて見せる。
（出来る範囲だが、約束は守っている）
（有り難うございます）
　直接の会話も、超常的な意志の疎通もなかったのだが、お互いはそう言い合い、そして相手が何を思ったかを理解していた。ある意味、このささやかな労いを感じたかったために、彼は保護を口実として、王宮に戻ってきたのである。
「お待ちなさい」
　そんな時、キーンの背後に声が投げかけられる。敵以外にそんな事が出来るのは、この場では王女フレイアただ一人である。
「な、何でしょう？」
　今の一幕がばれたのかと思い、キーンはぎこちなく振り返る。任務遂行後という、不確定な予定ではあったが、この国を抜けようとするルシアの考えは、きっと王女達には受け入れられない。
　そう思ったからこそ、彼は大手を振ってルシアとの再会を喜ぼうとはせず、特に接触もせず、極力無関係と思わせるべく、アイコンタクト程度で済ませたのである。
「忘れていました。貴方にこれを授けます」
　そうフレイアが告げると、傍らにいた次女が恭しく一本の剣を掲げて、キーンの前にやって来た。
「これは？」
　渡された剣をしげしげと見つめ、キーンは問うた。
「先刻、貴方がこの場で倒した者が所持していた剣です。素性のはっきりしないもの故、貴方に授けます。好きにしなさい」
「はぁ・・・」
　そう言われて、キーンは複雑な表情をした。今の言葉を率直に言い直せば、『敵兵の持っていた不浄な剣など、我々は使いたくはありませんから、貴方にあげます。返品は聞きません』と、言っている様なものであった。
　しかも、忘れていたから、今あげます。と言っているのだ。
　粗品とも言えない物を押しつけられて、良い顔をする者などいないだろう。周りの兵達もゴミ同様の扱いである物品を丁重に渡されたキーンの様相に含み笑いをもらしている。
「ま、トラップはないだろうが・・・サイズ的にはブロードソードか・・・」
　勝つつもりでここに訪れた者の所持品に、わざわざ仕掛けなどするはずがないので、剣として使えるのは間違いないだろうと判断したキーンは、取り合えずと鞘から刃を抜き、その刀身を見て、一瞬で今し方の不満をかき消した。
　長さは剣士が使うオーソドックスなサイズの両刃の剣で、柄の部分が魔獣か何かの顔をモチーフにした生物的なイメージのある形状をしており、刀身はそれにくわえられている様な印象を受ける剣であった。
　その上、刀身は通常では見られない鋭い輝きを放っている。魔剣・聖剣の様に特殊な能力は感じられなかったが、少なくても名剣であるには違いなかった。
「結構いい剣だな・・・・さすがに上位身分の者の持つ武具ってところか・・・・・」
　結果的に掘り出し物だと、キーンは思い、試しに軽く振るってみる。
　慣れない剣ではあったが、手頃なサイズのそれは、さほど時間もかけずに使いこなす自信が彼にはあった。
「気に入った！謹んで頂戴します」
　両腰に装備していた大型ナイフの鞘を後腰に着け直し、空いた左腰にブロードソードの鞘を装着し、改めて身支度を調えたキーンは、その実、皮肉であったフレイアの意図も綺麗さっぱり忘れ、新たに入手した名剣の存在に喜んだ。
「それでは塔に戻ります」
　周囲全てが肩すかしを受けた様相を気にも止めず、キーンは回れ右をして、大扉へと歩を進ませた。
「！！」
　いざ再び戦場へ。
　そんな面持ちで謁見の間の大扉を押し開けようとした時、正面から異様な気配を感じたキーンは、思わず足を止め、愛用の槍を構えて立ち止まった。
「？」
　王宮の兵達には、キーンの行為が異様にしか見えなかった事だろう。その行為の意図をフレイアが問いただすよりも早く、直径１メートルはあろうかという大型の光弾が正面の大扉を貫いて、まっすぐキーンめがけて飛来した。
「ちぃっ！」
　キーンは槍に気を集中させると、タイミングを合わせて振り上げ、光弾を掬い上げるようにして、その進路を変えさせた。
　弾かれた光弾は上方へと飛び上がり、天井の一部を砕いて王宮の外へと飛び出して行く。
「な、何者！？」
　大扉の周囲にいた兵士達が慌てて集い、欠けた扉の代わりになるかのように人垣を作り、その奥に潜む何者かを威嚇した。
「馬鹿！下がれ！！わざわざ進んで餌食になりに行くんじゃない」
　兵士達の背に、キーンの叱責が飛ぶ。だが、そんな叱責も無用であった。奥にいた何者かが迫り、近づくにつれ、威圧感に気負いしてか兵士達は一歩また一歩と後ずさりし始めていたのだ。
「お見事・・・ああも簡単に私の魔法弾が弾かれるとは思いませんでしたよ」
　そんな賛辞と共に、破壊された大扉の奥から一見上品そうに見える男が姿を現した。
　貴族趣向の衣装を身にまとい、武具らしい物を所持しておらず、先程の攻撃と相成って、魔法関係の攻撃を得意とする相手だろうという想像が成される。
　そんな腕力の不足分を補うかのように、彼の背後には五人の厳つい顔立ちの男達が控えていた。
「お目当ては・・・・・俺だよな」
　相手のふてぶてしさと、久しぶりの『人間に見える敵』の登場に、キーンは不敵な笑みをもらした。
「ええ、その通りです」
　訪問者は笑顔で認めた。
「何の用か・・・・って聞くのも馬鹿げているだろうし、わざわざこんな所まで来てくれなくても、塔内で待っててくれればすぐに相手してやったのに」
　とにかくも、敵と分かった以上、その注意を完全に自分に向けさせる必要があったため、彼は意識して、挑発的態度をとった。
「おいお前！そんな態度は・・・・・・・・」
　キーンの不敵の態度が癇に障ったのか、五人の従者の一人が一歩踏み出て、自分の主に対して礼を失する相手に敵意をあらわにしたが、彼の主張は最後まで告げられなかった。
　一足飛びに間合いを詰めたキーンが思いっきり槍を振り下ろし、その従者を縦に両断したためである。
　そして息をつく間もなく、その先にいる紳士風の男めがけて身体を捻り、槍を突きだした。
　見事な不意打ちであったが、紳士男は素早く後方へ飛んで、その一撃をかわす。あらかた予想はしていたのだろう。
「随分と過激な挨拶ですね」
　何事も無かったように、紳士男は言った。
「さっきの魔法弾は過激な挨拶ではないと？」
　構えたままキーンは言う。
「それは失礼。単なる腕試しのつもりだったんですが、お気に召さなかった様ですね」
「ああ、だから同じ類の返答をさせてもらった」
　そんなキーンの言いように、紳士男は僅かな笑みをもらした。
「不当には不当・・・・成る程、かなり過激な方の様ですね」
「悪かったな。そもそも、何しに来た？俺を挑発するためか？」
「いえいいえ私共には、貴方と闘う意志はありません」
「・・・・・じゃ、何だ？実のところはやはり王女目当てかなのか？」
　そんなキーンの発言に、王女は身を強張らせ、周囲の側近は主を守るべく集う。
「いいえ、先程言ったように、目的は本当に貴方です。順を追って説明します。私の名はラーベルク。主から『伯爵』の肩書きを頂いております。この度、私は貴方様をスカウトしに参りました」
「スカウト？」
　意外な言葉に、キーンは思わずその言葉を反芻した。
「ええ、貴方の持つ、類い希な戦闘技術に我が主は興味を示されております。私の使命は、そんな存在をスカウトし、招き入れることでして・・・・いかがでしょうか？」
「確認するが、その主ってのは、ここで言う『魔王』さんか？」
「左様です。人材確保に関しては、私は全権を委ねられております。貴方が塔の一階で遭遇した古種を始め、見たこともないであろう、知能を所持するモンスター達の大半が私のスカウトによるものです。あぁ、もちろん契約条件に関しても相談に応じる御用意があります」
「今時、気前の良い話だが、俺は今、その主を倒す依頼を受けているんだがな」
「ええ、存じております。ですが貴方は傭兵でいらっしゃる。交渉を行う事に、何の問題もないでしょう」
「問題無い・・・ね。つまりは、俺に現行契約を破棄して、そちらに着けという訳だな」
「率直な話としてはそうですが、これは悪い話でもないかと思いますよ。現に貴方は、その身を粉にするような活躍と危険度に反して、あまり優遇されていない御様子。当方なら、実力相応の地位と報酬を持って迎え入れる用意がございます」
　ラーベルクの発言に悪意は感じられなかった。本気でキーンをスカウトするつもりで訪れていたのである。
「優遇ね・・・・・」
　確かにと、キーンも思う。
　だが今回の一件は、自分のしでかした不始末に対するお詫びのつもりで引き受けたものであり、依頼主であるフレイアからの報酬はほとんど期待してはいなかった。だからこそ、塔内での発見物の所有権を求めたのである。
　そうしたキーンの心情をよそに、その場の一同は、彼の返答がどの様なものになるか息を呑んで待った。男に手助けしてもらいたくはないという思いはあったが、王宮を襲った一団を撃退し、尚かつ、今し方の魔法弾を捌き、相手の一人を葬るという手腕を見た兵士達は、その実力を嫌でも認めざるをえず、もしキーンがその場で寝返った場合、決して勝てないだろう事を悟っていた。
　そんな一同の中で、ルシアの場合は更に深刻であった。少なくとも彼女は、この中で最も確実にキーンの実力を把握している。実際にはほんの一端でしかなかったのだが、そんな彼女の把握できる範囲であっても、その力は驚異的であり、その上彼が現状をどの様に思っているか知っているだけに、気が気ではなかった。
「結界が修復されるまで待て・・・・・って、条件はどうだ？」
　それは、キーンの実質的契約期間とも言えた。
「願わくば早い方が望ましいのですが・・・・」
　意図を知ってか知らずか、ラーベルクも困った顔をする。
「それと肝心な点なんだが、長期契約はいいけど、専属契約は受けてないんだ。必要な時のみ、その都度雇われる・・・・それでもいいか？」
「それは困りましたね。当方としては、貴方を召し抱えたいと考えているのですが・・・・・」
「こっちも、理由があって一箇所には滞在したくないんだ。悪いな」
　ある意味、これで交渉はまとまりを欠いたかに見えた。
「弱りましたね。こちらとしても、貴方程の方と敵対関係を続けたくはないのですが・・・・・」
　皮肉な事に、敵であるラーベルク達の方が、正確にキーンを評価していた。
「なら、あんた達がこの地から撤退すればいいじゃないか」
「そうなのですが、その権限まではないのですよ。私には・・・・」
　それはそうだろうとキーンも思う。そもそも何故、魔王なる人物がこの国を攻めているのか、その真意がはっきりとしていない。秘宝と魔獣が目的であるなら、既にその目的は達せられており、この国に滞在する理由がない。
　塔内の様子からして、女ばかりの国を放置しておく手はないと考えているのであれば、同じ男として納得もいくが、それだけが理由とも思えない。
「では、交渉方法を少し変えましょう」
　そうこう考えているうちに、ラーベルクがいきなり話題を転化してきた。口調こそ穏やかではあったが、キーンはその中に、ある種の危険を感じた。
「周りの連中を人質にするか？」
「いえいえ、交渉を続けるだけなのですが、その対象を貴方の理性にではなく、本能にさせて頂きたいと思います」
「何だと？」
　ラーベルクの意味ありげな発言に、キーンは身構える。
「おっと、私はあくまで交渉人です。戦闘は彼等に任せてありますのであしからず・・・」
　一戦交えるのは避けられない流れと悟ったのだろう。ラーベルクはキーンの殺意を正面から受けると、配下に目配りするするや、二人の間に従者の一人が立ち塞がった。
　武器も防具も持たない相手に一瞬、違和感を感じるキーンだったが、そんな迷いを振り払うかのように、彼は槍を振り下ろした。
　彼の槍が最も威力を発揮する打ち下ろしの一撃は、生半可の相手ならば、容易く両断が可能である事は、先刻の従者の一件で証明済みだった。
　この従者も後を追う事になる。そう信じていたキーンであったが、その一撃は思いもよらぬ位置で、止められる事となった。
「何っ！」
　思わず唸るキーンとは対照的に、自信に裏付けられた笑みを浮かべる従者。
　キーンの必殺の一撃は、この従者の頭上数センチの所で押し止められており、それを行っているのが、従者の背中から生えた、先端がかぎ爪になっている二本の節足状のモノだった。
（やっぱりこいつ等も、只の人間じゃねぇ！）
　得体の知れない存在に、思わずキーンは飛び退き、間合いを取った。
　その途端、従者にめざましい変化が生じた。全身の筋肉が急速に膨張し始め、ウエイトがどんどん大きくなり、身にまとっていた衣服を引き裂いていくのを手始めに、全身から体毛が伸びて身体を覆い、巨大化した体のバランスを支えるように足の形状も変化し、手も攻撃性を重視したように太く、長い爪が伸びてゆく。
　変化は頭部にも現れ、人としての面影は完全になくなり、熊と犬の特徴が混ざった様な様相となり、異様に長い牙が並ぶ口が咆哮を上げる。
　そして先程、キーンの槍を止めた背中のかぎ爪付の節足が長さを増し、その切っ先をキーンへと向ける。その数四本。当然、彼の見知っている様なモンスターではない。
「ったく・・・・毎度毎度、こうも多彩なモンスターがどうして出てくる・・・・」
　もはや今回の仕事には、今までキーンが体験してきた常識は通用しない。
「御存知ないのも仕方がありませんな」
　変身を終えた従者の傍らに、ラーベルクが近づき、まるでペットを自慢するかのようにその身体を撫でた。
「この者達は、遙か過去に絶滅したと言われた、古代戦争時の戦闘生物なのですからね」
「・・・・・他の奴等も自慢していたな、そんな風に・・・・古種生物、いや、古種ライカンスロープだな・・・・・」
「ほう、ご存知でしたか」
　キーンの意外な知識に、ラーベルクが素直に驚く。
「旅先で偶然知った知識だよ。遥かな昔、古代文明が滅んだ戦争時に、当時の錬金術氏達が勝利を得るために作り出した手駒・・・・だろ。一般の学説じゃ、それが野生化していったのが現在のモンスターだって事だろ」
「その通り、それは一部、事実を得ています。しかし、厳密には野生化して今日も生き残っているのは使い捨てとして作られた下級なものばかりだったのですよ」
「それじゃ、上級な奴はどうなったって言うんだ？」
「無論、長い年月による世代交代でその血は薄れては行きましたが、その戦闘本能は子孫に受け継がれています。その存在が知られていないのは、上級戦闘生物は全て、この者のように変身能力を所持していたからですよ」
「？」
「普段はエネルギー消費率の少ない人間の姿で生活し、必要に応じて戦闘形態に変身して敵を討つ・・・・・・実に効率的な存在だったのです。それ故に、古代文明崩壊以後、戦闘形態へと変貌する機会が激減した彼等は、その存在を忘れ去られ、その血を引き継ぐ者すら、自身の能力を知らずに一生を終わっているケースがほとんどと言われています」
「・・・・・そう言うケースもあるな・・・確かに」
　本人が自覚していない。キーンは、これまで思い至ってなかった内容を聞かされ軽く頷く。
「だが中には、ワーウルフの類みたいに必要が無くても、望まずとも変貌しちまう奴もいるよな？」
「ええ、ですが、あの手の者は、長年に亘って変身器官が退化し、自らの意志で変身できなくなった比較的下級な存在です。それが満月の光を浴びることによって、その器官が刺激され、本人の意思に関係なく変身し、増幅された闘争本能に踊らされる半野生化とも言える半端物です。我が下部のような本物に言わせれば・・・・ね」
「・・・・・・そりゃそうだろうな。世界が滅んで戦争がなくなれば、戦闘スタイルになる必要も無くなるわけだ。変身できる種族でも、それを使ってなければ退化するのは当然だな。だが、どうしてそれが・・・・本来の能力維持したままの様な存在が今になって現れる？」
「もちろん、その『末裔』を捜し出したとしても、自らの意志で変身できる者など皆無です。ですが、我が主は見つけだしたのですよ。その古代文明の戦闘生物創造の錬金術の手法をね・・・」
　まるで自分の功績のように、興奮してラーベルクは言った。その一方で、キーンは改めて知った事実を冷静に聞き、思案していた。
「・・・・・・ひょっとすると俺が塔内で見た、異質なモンスター連中は、その古代文明の技術によるものだったのか？」
「その通りです。最初のうちは、戦闘生物の末裔の変身器官を活性化させ、眠った能力を呼び覚まさせるだけでしたが、今では独自に開発できる所までに至っております。まさに創造主！貴方も御希望なら、より強力な力を手に入れ類い希な存在となれる事は確実でしょう」
「化け物の分類には入りたくはない」
　得られる『力』との引き替えになる結果に対し、キーンはきっぱりと言い切った。おそらくは大半の人間は、まずはそう答えるだろう。
「それは手厳しい。ですが貴方の戦闘能力は十分に人間を凌駕していますし、そもそも人間の本性はモンスター達とそう変わる物ではないでしょう。人間の勝利を欲する欲望が生み出した姿、敵を圧倒する強き肉体を求めた結果の姿、それが・・・」
「お黙りなさい！」
　そんな二人の会話に突如、第三者がわって入った。
「悪魔の所業に魂を売り渡し、人としての姿も捨てた男風情が何を言うのです。その様な者が人間について、語るなどおこがましい。そもそもこの様な訪問自体が無礼極まりないと自覚し、早々に立ち去りなさい！」
　言わずとしれた王女フレイアである。『人』の群衆の頂点の地位にいるだけに、その存在をモンスター同様と論され、思わず憤慨したのだった。
「この場の主は、そう言ってるぞ。俺も出来ればそう願う。交渉なんて塔内で十分だろ」
　槍を構え直してキーンは言った。
「いえ、ここである必要もあるんです。それにしても、あの王女は御自分の状況と立場を理解していないようですね・・・・・少しの間、黙っててもらいましょうか」
「！」
　何かを企んでいる。そう察してラーベルクに対し、牽制行動をとろうとしたキーンであったが、その行動を読んで、モンスター化した従者が先制し、その行為を遮った。
　肩越しから繰り出される二本のかぎ爪をかわし、脇下から時間差で繰り出されるもう一対のかぎ爪を横にした槍で受け止めたものの、正面から繰り出された熊のような腕の攻撃までは捌けず、鎧の表面を剔られてしまった。
「くそっ！思った以上に俊敏でいやがる」
　戦闘担当と言われるだけはある・・・・と、キーンは思う。そんな苦戦の最中、ラーベルクは、王女達の前に躍り出て、従者同様、戦闘形態への変身を行った。
　幾度か目の当たりにした現象であったが、人から異形なる存在への変態に、王宮戦士達は揃って息を呑んだ。
　ラーベルクの形態は従者とは異なっていた。身体全体が滑りを帯びたウナギのような皮膚に包まれ、顔も飾り程度の目が付着した蛇の様に長細く変貌し、背中からはミミズの様に不気味に蠢く触手を何本も生やしている。
　身体の膨張に伴って、手足も大きくはなっていたが、その形は人間と大差なく、肉弾戦向きでは無いことを証明している。ただ、両腕に用途不明の六本の管らしき物がまとわりつき、それが腹に繋がるという風体をしていた。
「お、おのれ、化け物め！」
　フレイアの盾となって立ちはだかる戦士達だったが、もともとこの国には実戦経験者はほとんど残っておらず、目の前にいる異形のモンスターを前に、明らかに気負いしていた。
「ふむ、数は十分・・・・全員、生贄となっていただきましょう」
　モンスター化したとはいえ、ラーベルクの口調・声色は変化しなかった。
「何をっ！」
　一人の戦士が果敢にもラーベルクに挑んだ。
「無駄ですよ」
　ラーベルクはすかさず両腕を突き出し、腕に巻き付く管の一つから緑色をした液状の物体を放った。
「なっ！？ああっ！」
　まともにそれを受けた戦士は、未知なる物との接触に戸惑い足を止めた。殺人的な効果を持つ液体かと疑りもしたが、付着したそれは粘性を持つものの、彼女の身体に被害を与える事は無かった。
　致命的ではないと、安堵した瞬間、その物体の本性が現れた。
　液状だったそれは、生き物の様に脈動すると、女戦士の鎧に付着したまま何本もの触手状に変形して彼女の身体にまとわりつき、あっという間に身体を締め付けるような形で拘束してしまった。
「！」
　周囲の同僚が助けに入るよりも早く、ラーベルクは次の行動に移る。
　両腕を彼女達へと向けると、先程と同様の物体を立て続けに放ち、あっという間にこの場にいる全員を拘束してしまったのである。
「ぶ、無礼な！」
　王女も例外ではなく、王座に座ったまま粘着物質に拘束されていた。
「私はいわゆる『スライム・キャリアー』でして、体内に数多くのスライムの『核』を所持していまして、必要に応じて好きなタイプのスライムを体内で培養し、この腕の器官から放つことが出来るんですよ」
　身動きのとれなくなったフレイアにゆっくりと近づき、ラーベルクは言った。
「今、貴女方を拘束しているのは、私のオリジナルスライムで、世間一般のスライムのような捕食能力はありませんが、接触した相手に絡みついて自由を奪います。そして『核』は、私の意志に連動しておりまして、意志に応じた動きをするんですよ」
「何をするつもりです！」
「生贄ですよ・・・・彼の・・・キーン殿のね」
　気丈に睨めつけるフレイアの視線を冷ややかにかわすラーベルク。
「何をしているのです！この無礼な輩を何とかしなさい！」
　彼女は身を捩りながら、キーンに向かって叫んだ。
　だが、当の彼は、モンスター化した従者の四本のかぎ爪と二本の腕による俊敏な攻撃に防戦一方で、とてもそれどころではなかった。しかも相手は二人、否、二匹になっていたのである。
「王女、貴女は少し黙っていて頂きましょう」
　ラーベルクがそう言って念じ、それを受け、スライムに変化が生じる。
　彼女の身体にまとわりついたスライムが、小刻みな振動を始めたのである。あらゆる所に絡みついていたそれから不意の刺激を受けて、フレイアは思わず身悶えた。
「くっ・・・・はぁっ・・・」
　激しすぎず適度な振動は甘美な刺激となってフレイアの皮膚を伝わり、神経に到達すると、彼女は歯を噛み締め、声を漏らすまいと堪えるが、スライムの責めはそれで済むような単調なものではなかった。
　振動しながら脈動するスライムは、自分が触れている所で、相手の弱点となるツボを察知すると、ロープで言うところの結び目のようなコブを作り、その部分を重点的に責める形態をとり、更には細い触手が枝分かれし、性感帯を探るべく服の隙間から中に侵入し、直接肌を撫で回しにかかったのだ。
　内股・乳房・首筋・耳・脇腹・背中・脇下など、その範囲は徐々に広がり、触手はゆっくりとではあるが全身に広がっていく。
　衣服内に侵入した触手は、本体から枝分かれしたものであるため、身体を拘束するそれと比べてかなり細いものであったが、それ故、タッチは繊細なものであり、彼女の全身にムズムズとしたくすぐったさと快楽の混じり合った微妙な刺激を与える結果となっていた。
「はぅぅぅっ・・・・・んっふぅっ・・・・」
　フレイアは真っ赤になってその刺激に耐えながら不自由な体をくねらせる。耐え切れない程のくすぐったさでもなく、快楽でもなかったが、間断ない刺激は徐々に精神的耐久力を削り取っていくと同時に、彼女にとって忌まわしくも甘美な魔獣の記憶を呼び起こさせる要因にも成り得た。
　この状態が続けば、自分がどうなるかが予想できるが為に、彼女はそれを振り払おうと懸命に藻掻いていたのであった。
「王女よ、そいつは藻掻けば藻掻くほど、動きを活発にしますよ。動けばその分、弱点を察知してそこを責め立てる。動かず耐えていれば、やがてその活動は止まりますので、じっとした方が懸命ですぞ」
　フレイアの状態を見抜いてラーベルクが言う。だが、それは責められる側にとっては悪辣な内容と言ってよかった。そしてそうした状況は彼女だけではなく、スライムに拘束された全員に訪れていた。
「さてキーン殿、この状況の示す意味を察して、抵抗を止めていただけますか？一応、忠告しておきますが、私のスライムはこの様に楽しむだけではなく、今の状態の半分にまで縮んだり、内側に向けて鋭利な突起を突き出す事も出来ますので、御考慮願います」
　全ての準備が終わったラーベルクは振り向いて二匹の従者モンスターの連係攻撃に苦戦していたキーンに声をかける。
「えらく、ありきたりな手だな」
　その穏便な脅迫に、キーンがピタリと動きを止めると、牽制が目的であったモンスターも彼に対して必要以上の攻撃を仕掛けようとはせず、動きを止める。
「ありきたりですから、多用されるんです。さ、いかがなさいます？」
「わざとらしく聞くな！」
　キーンにとっては取るべき道は一つしかない。
　彼は心中にくすぶる不満をぶつけるかのように、槍を床に深々と突き立て、腰の剣全てを鞘ごと横に投げ捨てた。
「御判断、痛み入ります」
　ラーベルクがゆっくりとキーンの方へと歩み寄る。一瞬、不意打ちで彼を倒そうかと思ったが、その後、主を失った四人の従者の報復行為から、周囲一同を護れる自信が無いために断念する。
「で、どうするって？」
　対峙するキーンとラーベルク。
「先程も言いましたように、貴方の本能に交渉させて頂きます」
　ラーベルクはそう言って、奇妙に変形した口をもごもごさせ、何やら呪文のようなものを唱えると、自分の右掌の上に、小さな光球を作り出した。
「・・・・・・？」
「心配いりません。私の家系に伝わる秘伝の魔法で、殺傷能力は皆無です。逃げずに受けていただきますよ」
　キーンは忌々しげに舌打ちした。横目で周囲を見てみると、自分の左右には先程モンスター化した従者が構えており、まだ人間形態の従者は、床に倒れ込んでいる者達の近くまで移動し、キーンの動向を見つめ、変な行動を行った場合の報復の準備を済ませていた。
　抵抗は無理かと観念した直後、ラーベルクの作り出した魔法球がキーンの身体に接触した。
　それは熱もなく感触もなく、何の抵抗も見せずに鎧の上からキーンの身体へと、沈んで行った。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・？」
　魔法球が完全に体内に消えた直後だった。キーンの身体を思いもよらぬ衝撃と苦痛が走った。
「かっっ・・！！かはっ・・・・！？」
　思わず膝を突くキーン。
「さ、殺傷能力が無いだぁ？じゅ・・十二分なダメージじゃないか！」
　予想していなかった苦痛に顔を歪め、キーンは唸る。
「とんでもない。苦痛はあっても、かつてこの魔法で死人が出たことはありません。この魔法は一時的ながら相手の理性の壁を取り払う魔法なのですから」
「なんっ・・・・だと・・？」
「人間・・・・だけとも限りませんが、知的生物は理性という、本能を抑制する物を持っています。それを取り払い、本能のみで動けるようにするのがこの魔法なのです」
「そっ・・・んな、真似して・・・・な、何の意味がある・・・」
　呼吸にすら苦労する様子で、問いかけるキーン。
「分かりませんか？貴方本来の姿を取り戻して頂きたいのです。義理とか契約とかに縛られず、思うがままに行動する貴方にね・・・・・そしてその素晴らしさを知ってもらうのです。そうして一度目覚めた本能は、術が解けても容易に覚醒します。そうすれば、我々の提供する条件にも本当の意味で御考慮していただけるはずです。さぁ、貴方の心を解放し、思うがままに行動するのです」
「お、俺は、いつだって、自分の意志で動いているっ！」
　激しく喘いで、否定するキーン。だがそれを、ラーベルクは首を振って更に否定する。
「違いますね。貴方は自分の欲望を抑えています。御覧なさい。あの女達を・・・・どれもこれも粒ぞろいの美女ではないですか。本当に思うがままに行動しているのであれば、貴方ほどの実力者が、彼女達に従属しているはずがないでしょう。本当は全員を従えたいのでしょう？犯したいのでしょう？なら、そうすれば良いのです。貴方にはそれが出来る。できる力を持っている。誰も抵抗などできません。何を躊躇いますか？」
「ふざっ・・・けるなっ！」
　出来たとしても、キーンは人に勧められて素直に従うような傀儡でもなかった。
「抗っても、無駄な抵抗ですよ。貴方の全身を襲っているその痛みは、理性の度合いを示しています。抗えば抗うほど、痛みは大きいのです。判りますか？この魔法は理性が強い者ほどその効果は顕著なのです。さぁ、心を開くのです。そうすれば全ての苦痛から逃れられるのですよ」
　堪えていたキーンが、遂に両手までも床につき、四つん這いの姿勢となった。彼の心身を蝕む苦痛は衰える事無く、ラーベルクの言うとおり、抗うほどに激しさを増している。
「いかに貴方でも、これには限界があります。結果は同じなのですから、激痛を受け続けるよりは流れに身を任せた方が利口ですよ」
「最初に、スカウトを蹴った時点で・・・・っ・・利口でないことは、判ってただろっ」
「そうですね。なればこそ、こんな手を使わせてもらったのです」
「・・・・・・させない！！」
　不意にそんな声が走り、ラーベルクの背後から数本の手裏剣が飛来した。
「なんと！？」
　長い首をしならせ背後を見やると、ラーベルクは反射的に背中の触手を振り回し、手裏剣をたたき落としたが、一本を捌きそこね、左肩辺りに突き刺さった。
「ぬおっ！」
　思わず仰け反るラーベルクの眼前に一つの影が降り立った。
「ルシアっ！」
　その正体を見て、キーンが唸る。
　彼女は、背中に背負った刀に手をかけ、相手の細い首めがけて、抜刀ざまに振り下ろす。
　その一撃が決まっていれば金星だったであろう。
　だが、彼女の必殺の一撃は、その刀の軌道に割り込んできた、従者モンスターの節足によって遮られていた。
「おのれ・・・・まだいたのですか！」
　身体を傷つけられたこともあり、やや怒気を含んだ声がラーベルクから放たれ、それと同時に、仲間達を拘束しているのと同様のスライムが放たれ、ルシアを直撃した。
「あっ・・・ああっ！」
　抗う間もなく、彼女も拘束され、虚しく床に転がった。
「ルシア・・・さんですか・・・・少なからずキーン殿と知己があるようですね」
　ラーベルクが横たわるルシアを興味ありげに眺めた。
「貴様っ・・・・いい加減に・・・」
「貴方こそ、いい加減に抵抗をおやめになってはいかがですか？せっかくお気に入りの彼女も一緒に抱けるチャンスなのですよ」
　彼は利用価値の最も高いと思われるルシアを指さし、キーンへの誘惑を続ける。だが、彼の抵抗も強固であった。
「っは・・・そんな手助けされなくても、チャンスくらい・・・・」
「・・・・・・・つくづく強情ですね。これにここまで耐えている人間なんて初めてですよ。仕方ありません。もう一度受けていただいて確実に墜ちてもらいましょうか」
　感心と同時に呆れてもいたラーベルクは、新たな魔法球をその手に精製した。
「くっくそっ・・・」
　抵抗しようにも、全身の激痛がそれを許さず、なすがままに二つ目の魔法球が、キーンの背中から体内に沈んだ。
　その途端、キーンの意識は真っ白になった。同質の魔法が重なった事により、相乗効果となって表れたのだ。その効果はもはや人間などの耐えられる域ではなかった。
「がっ！があああああぁぁぁぁぁっっっっっ！！」
　キーンが吠えた。その咆哮はまるで野獣であり、とても人間のそれとは思えなかった。
「キーン・・・さん・・・」
　ルシアが歯噛みし、顔を背ける。信じて望みをかけた男が陥落する姿を目の当たりにしようとしているのである。その落胆ぶりは大きかった。
　程なくして、獣のような悲鳴も治まり、静寂となった中でキーンはゆっくりと立ち上がった。俯きながら激しく喘ぐように呼吸するその姿は野性味があふれ、その目は狂気じみた雰囲気さえ漂わせた。
「ようやく本来の貴方が現れましたね。どうです？理性の枷を打ち砕いた気分は？すがすがしいものでしょう？さぁ、思うがままに好きなようにして下さい。貴方の欲望を満たす女性は今、いくらでもいますよ」
　自らの勝利に満足し、新たに誕生した同志に向かって、まるで煽るように語るラーベルクだったが、肝心のキーンは喘いでいるばかりで、一向に行動に移る様子がなかった。
「ん？どうしたんです？」
　キーンの顔を覗き込み、その表情から、ラーベルクは事態を悟る。
「・・・・・・・おやおや、驚きましたね。欠片程度でしょうが、まだ理性が残っている様ですね・・・・・それが貴方を苦しめている・・・」
　賞賛に値する・・・と、ラーベルクは思った。だが、今となっては、その様な抵抗も、もはや問題にはならなかった。
「いいでしょう。ならば、とっておきのコツをお教えしましょう」
　囁くように言って、ラーベルクはゆっくりとルシアの方を指さす。
「彼女を・・・・犯すんですよ。そうすれば欠片程度の理性や良心は綺麗さっぱり消えて、あとは本能のみの貴方が誕生するのです」
　ラーベルクの先導は妙に力がこもっていた。それがスタイルなのか本質なのかは分からなかったが、過去にこれで多くの者を手中に収めてもいる。
「さぁ、躊躇わなくて良いのです。彼女も貴方に抱かれる事を望んでいます。その願い、かなえて差し上げなさい・・・・・」
　平常時であれば下手な勧誘だと、一笑できたであろうが、今のキーンはほとんど正常な状態では無く、ラーベルクの囁きに、徐々に飲み込まれて行った。
「さぁ、本能の赴くままに・・・・・それが人の本来あるべき姿、自然な姿です・・・・」
「・・・・・・！」
　限界あるいはその台詞が引き金となったのか、キーンに動きが生じる。
　ゆっくりと、引きずるような足取りでルシアのもとに赴くと、充血しきった目が彼女を見下ろした。
「・・・・・・・・・・・」
「キーンさん・・・」
　ルシアは覚悟した。少なくとも話の分かる状況でないことは、表情を見れば分かる事だった。
「おいおい、どうした？」
「煮え切らない奴だな」
　今に至っても行動に移らないキーンに業を煮やした従者モンスターが、彼の傍らに立ち、冷やかすようにささやいた。ラーベルクの例から、彼等もあの形態で人間の言葉を話せる事は十分にあり得たのだが、その姿故に違和感が出るのは避けられなかった。
「心の片隅に、まだしこりが残ってるみたいで、嫌な感じがするんだろ？」
「そいつを解消するには、一度、思いっきりやっちまうのが一番なんだよ」
「そうすれば、そんなちゃちな躊躇いなんて、快楽と一緒に一気に吹っ飛ぶってもんだ」
　下品な声と笑いがモンスターからもれ、それを肯定するように上品な口調でラーベルクも語る。
「その通り、その者達の言うとおりです。さぁ、本能に身を任せるのです」
　度重なる発言は人を誘導する効果がある。もちろん、この場合も例外ではない。
　キーンの精神は、今尚、続いている負担に耐えかね、逃げ道を模索してしまい、遂に誘導的な彼等の主張に従ってしまった。

　－理性の枷を解き、本能を開放する－

　それが惨劇の始まりだった。
「おあぁぁぁぁぁぁぁっ！！」
　キーンが再び、野生むき出しで吠えた。
「遂に目覚めましたね」
　満足げに笑むラーベルクであったが、次の瞬間、彼の身体は多量の血の雨をまともに浴び、赤く染まった。
　キーンの手刀が右隣にいた、従者モンスターの分厚い胸板を貫いたのであった。
「なっ！？」
　驚愕するラーベルクを後目に、キーンはもう一匹の従者モンスターに襲いかかる。
「があっ！」
　乱雑でしかないキーンの腕の横振りを、身体を引く事でかわした従者モンスターは、予期せぬ攻撃に大いに戸惑った。これまで、あの魔法に耐えきった者はいない。少なくとも自分がラーベルクに仕えてから、そうした事例は一度として発生しなかった。
　そうした戸惑いの中、大振りな攻撃に生じる隙を狙って、彼は背中の四本のかぎ爪を一斉に突き立てるという反射的な反撃を行ったが、戸惑いが影響して、その動きは俊敏さを欠いていた。
　一瞬、それが命中するかと思われた瞬間、キーンは振り返るという行為を行わず、そのままの勢いで一回転しながらかぎ爪を器用にかわすと、回転の勢いを利用して再び手刀を横に薙ぎ払った。
　何かが弾ける音と共に、四本のかぎ爪が宙に舞った。キーンの一撃がまとめて相手の節足を打ち砕いたのである。
「お、おのれっ！」
　従者モンスターは、吠えながら強力な破壊力を秘めた両腕を突き出す。
「ぬぁぁぁぁぁぁぁぁ！！」
　キーンもまた、負けじと咆哮を上げながら迫る相手の両腕を受け流し、その左腕を自分の右脇で挟み込むと、ほとんど間もおかず身体を左に捻った。
　グキャッ！
　気味の悪い音と共に、モンスターの左腕が肘から折れた。
「ぎゃあああああっ！！」
　モンスターが仰け反り悲鳴をあげるが、キーンはそれにも構わず、更に身を捻り回し、最後には腕を引き千切るに至った。
　身を引き裂かれた激痛にのたうち回るモンスターの喉に、キーンの左の手刀が容赦なく突き刺さり、止めを刺す。
　あまりに凄惨な出来事に、ラーベルクを含めた一同は息を呑んだ。
「て、てめぇ！」
　牽制ポジションにいた従者が怒りに燃え、戦闘形態への変身を行う。だが、彼の変身とキーンの強襲のスピードでは、キーンの方が早く、彼は変身しきらないうちに間合いを詰められ、ろくな戦闘能力も見せないまま、その心臓を手刀によって射抜かれた。
「大した奴だ。ラーベルク様の魔法を退けるとはなっ！」
　最後に残った従者は同僚の犠牲のおかげで変身を完了する事が出来た。その姿は、運動に支障のない部分全てに、分厚い甲羅を身にまとった二足歩行の猪という表現がぴったりな姿をしている。
「ち、違うっ！」
　動揺しつつも、ラーベルクは従者の言った事を否定した。
「あの魔法は、油に火を近づければ引火するように、『理性』には必ず発現する魔法だ・・・・退ける事など不可能・・・・・だがっ・・・まさかっ」
　そうしている間にもキーンは最後の従者に向かって闇雲な突進を敢行する。
「馬鹿がっ！俺を外見通りの相手と思うな！！」
　そう言うと従者モンスターはいきなり両腕を突き出し、魔法弾を放った。面食らったのかキーンはまともに正面からそれを受けてしまい、大きく突き飛ばされる形となる。
「戦闘形態になったからと言って、人間時の能力が損なわれた訳じゃない。攻撃魔法を知っていれば、重厚なボディでもこんな戦い方も出来るんだよ！」
　得意げに語って従者モンスターは連続して魔法弾を放つ。主の命令はなかったが、仲間を四人も殺された上に『交渉』も失敗したのでは、倒すしかない。そう判断したのである。
　魔法弾は、床に叩きつけられ体勢を崩していたキーンに次々に着弾し、噴き上がる爆煙と光は、その姿を覆い尽くしていったが、彼の攻撃は、目標が見失われても尚、続けられた。
「あり得ない。そんな事あるはずがない」
　そんな中、ラーベルクだけは現状とは異なる世界で自問自答を繰り返していた。キーンの先程までの様子からして、間違いなく魔法は効いていた。にもかかわらず彼は自分達に敵対している。それの意味する所を悟ってはいたのだが、彼の常識が実際に起きている事実を認知することを拒んでいたのだ。
「こいつで・・・止めだ！！」
　従者モンスターが両手を組み、一際大きい魔法弾を形成した。
　そしてそれが完成した直後、間髪入れず爆煙に包まれているキーンらしき人影に向けて放った。
「死ねっ！」
　従者モンスターの怒りを込めた一撃は、込められた必殺の意志に報いる事はなかった。
　大型魔法弾が命中する直前、キーンの左腕が大きく振り上げられ、魔法弾を叩き上げると、ラーベルクの時同様に弾き飛ばしてしまったのだ。
「何っ！？」
　魔法弾の大きさはラーベルクの時と大差はなかった。したがって、この様な現象は起きて当然の事ではあったが、今のキーンは気を込めた『武具』ではなく、『素手』によって、それを行ったのである。
「うがぁッ！！」
　キーンが吠え、全身から気を放って周囲にまとわりつく爆煙を吹き飛ばすと、全く無傷の彼がその姿を現した。
「ば、馬鹿なっ！」
　驚愕する従者モンスターに、キーンの反撃が始まった。
　右掌を突きつけての気孔弾の連射。それこそ、先程のお返しとばかりに、断続的に放ち続ける。従者モンスターは半分身体を丸めるような体勢をとって、分厚い甲羅で身体を守る姿勢をとった。
　的確に迫る気孔弾を、弾き、受け止めていた従者モンスターであったが、一発一発が命中するつど、彼の身体は徐々に後退し、踏み止まろうとする足は床を削っていった。
「だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ！」
　現在のキーンの猛攻を見ていると、疲れというものを知らないかのようにも見えた。それ程までに気孔弾の応酬は続いたのだが、堪えるモンスターに辟易したのか、その攻撃法が変化する。
　彼は両手に気孔弾らしきものを精製すると、それを合わせ、粘土細工を扱うかのように変形させて棒状にすると、まるで投げ槍の様に振りかぶって投げつけた。
　もともと、質量など無いに等しい、気孔による槍は、実際の槍とは比べ物にならない程のスピードで突き進み、全力で防御にあたっていたモンスターの甲羅を易々と貫く。
「ま・・・まさか、俺の装甲が・・・・」
　仰け反るモンスターに、追い打ちの気孔槍が立て続けに飛来し、次々とその身体を貫いていく。
「ぎゃぁぁっ！！」
　全身を貫く激痛に、耐えきれず悲鳴をあげるモンスター。
「殺す・・・・・殺すっ！」
　もう勝負は付いていた。にもかかわらず、キーンは止めとばかりに右腕を突きし、気孔波を放つ。
　気孔波・・・・・基本的には気孔弾と同じ、気の放出であったが、その他の通り単発形式である気孔弾に対し、気孔波は断続的な放出を行う技で、術者が任意に止めない限りエネルギーを放射し続ける。
　その容量に比例して破壊力は増大し、特に巨大な物体や強固な物を粉砕するのに適した技であったが、術者の疲労が激しいという欠点もある。
「おあああああっ！」
　キーンから放たれた気孔波は、光の竜のように突き進み、獲物である従者モンスターを飲み込み、その光の奔流の中で、モンスターは塵となって消えた。そして、光の竜はそのまま進行方向の壁を貫き、消滅した。
「ま、間違いない・・・理性の崩壊・・・・私の魔法は完全に効いている・・・・だが・・・」
　キーンの狂気に満ちた目が、狼狽するラーベルクを捉える。
「ひっっ！」
　死神をまとった視線に、ラーベルクが怯えた。
　その瞬間、キーンが駆けだした。
「ひっ・・・ひぃぃぃぃっ！」
　恐怖に駆られたラーベルクは両手を使い、あらん限りの力を使って魔法弾を連射した。だが、並のモンスターであれば一撃粉砕できる威力を秘めたそれも、キーンにはダメージを与えられなかった。それどころか一発として、彼の肉体に着弾もしていない。
　キーンは、気をコントロールして自分の前面に断続的かつ放射状に放つ事によって、一種の障壁を形成して、攻撃を防いでいたのである。
　そして、キーンとラーベルクの距離がほぼゼロとなった。
「っっっ！！！」
　思わず身じろぐラーベルクに向かって、キーンの右の手刀が繰り出された。
　その攻撃の命中直前、彼は手刀を拳に握り直す。
　点の攻撃である手刀から、面積の広い拳への移行。命中した拳は相手の肉や骨という障害をもともせず体内にめり込み、その瞬間に生じた衝撃は拳を先行してラーベルクの体内を通過し、彼の内臓を背中から吹き飛ばさせた。
　拳より遙かに大きい穴が彼の背中に生じ、そこからキーンの拳が姿を現す。
「がはぁっ！！！」
　致命傷を受け、口からも血を吐くラーベルク。
「あ・・・・あり得るのか・・・・・この・・男が・・・・理性で抑制してい・・・るの・・・が・・・・・・・・異性にっ、対する欲望では無く・・・破壊衝動などと・・・・言う・・・事が・・・」
　彼はゆっくりと崩れ落ちながら、自分の敗因を誰とは無しに語った。
「おおおおおおおおおっっっっ！」
　肉塊と化した亡骸を床に叩きつけて踏みつけ、キーンは雄叫びを上げた。
（・・・・・・・この人は・・・・・・）
　その様相を余さず見ていたルシアは、キーンの凶暴性の裏に潜むものの存在を、なんとなく感じた。
　だが、他の者はその表面上しか見えてはいない。ましてや、先入観が大きい王宮の者達にとっては、キーンは塔の敵同様、ならず者でしかない。
　彼女達は、仕方なく利用している、ならず者の危険性を初めて意識した。
　それでも、その驚異に屈しない人物もいた。と、言うよりは屈することが出来ない立場の人物がいた。
　言わずと知れた、王女フレイアである。
「何をしているのです。敵を片づけたのなら、我々を早く助けなさい」
　恐怖に屈しない存在でいなければならない。家臣達にはそう見せなければならなかった彼女は、ほとんど必然的に言っていた。
　その言葉に、ルシアは焦った。
「いけません王女！今、彼に敵意を向けては！」
　ラーベルクに最も近い位置にいたため、彼女は聞いていたのである。彼の今際のきわの言葉を・・・・だからこそキーンがどの様な状態になっているかも予想できたのである。
　ルシアの危惧は当たっていた。
　ラーベルクの魔法により理性を失い、破壊衝動に突き動かされているキーンは、些細ではあるがフレイアの言葉の中に潜む敵意にも敏感に反応した。
　理性のたがの無い彼に、利害関係を含めた敵味方を識別する事は困難である。今はただ、殺意・敵意を向けてくる相手に対しては容赦は無かった。というよりは、容赦が出来なかった。
　キーンは鋭い眼光で、敵意の源であるフレイアを見据えると、ゆっくりと目標に向かって歩み始めた。
「だ、駄目っ！」
　ルシアは藻掻き、主を失ったことで統制を失ったスライムを、力ずくで引き剥がすと、キーンの後を追いながら駆けだし、懐に潜ませていた手裏剣を投げ放った。
「っつ！」
　意外なことに、それは見事にキーンの背中に刺さった。これはルシアに敵意そのものが無く、今の一撃にも、倒すつもりが全くなかったために起きた現象であった。
　致命傷でもなく、行動に傷害を与えるほどの傷でもなかったが、苦痛は得るものであり、キーンは自分に苦痛を与えた相手を確認すべく振り向いたが、その瞬間を狙ってたかの様に、ルシアが脇をすり抜け、フレイアとキーンの間に立ちはだかった。
「貴様・・・・も、敵か・・・？」
　唸るキーンに対し、ルシアは首を左右に振った。
「ここに貴方の敵はいません。敵は塔の中です。思い出して下さい。正気に戻って下さい。約束をお忘れですか」
　彼女の言う約束とは、フレイアとの間で交わしたそれではなく、自分との間で交わした、あの事を示している。
「ル・・ルシアか・・・・敵か・・・・？」
「違います。ルシアです・・・・敵ではありません。思い出して下さい。私、ルシアと、本来の敵を・・・・ここには貴方の敵になり得る者はいません」
「るしあ・・・・・るシあ・・・・・ル・・シア・・・」
　キーンの額に脂汗がにじみ、その手が大きく震えだした。本能の欲求が闘いを求め、僅かながらの判断力がルシアの存在を認識して行動を抑制し、その葛藤が精神面で大きく作用している結果だった。
（敵・・・味方・・・敵・・ルシア・・敵味方敵味方・・・・・）
　キーンの中で、強烈な破壊衝動が攻撃を仕掛けたルシアへの報復を求め、別の意識がそれを否定した。
　彼の意識は、彼女を攻撃してはいけないと判断しつつも、炎のように滾る衝動が暴力に身を任せようと煽り続ける。
「がぁぁぁぁっ！！」
　この場にいてはいけない。僅かな理性がそう判断すると、キーンは雄叫びを上げて駆け出し、自分の放った気孔波が開けた穴から飛び出し、城外へと疾走した。


　どの位の時間が経過したか・・・・・
　尽きることなく沸き上がる破壊衝動による被害を周囲に与えないため、外に飛び出したキーンは、城壁の外の森に移動し、そこで魔法の効果が無くなるまで暴れ回った。
　本能に身を任せたキーンはまさに災害そのものとなり、周囲の木々に嵐そのものの深刻な傷跡を残した。
　その野獣キーンも、今は落ち着きを取り戻し、自らが作り出したクレーターの一つの中央で大の字になって横たわっていた。
　当初乱れていた呼吸も今は落ち着き、うつろな表情でじっと空を眺め続けている。
「・・・・・・・・・・ルシアか？」
　微かに感じた気配に、キーンは声をかける。
「はい・・・」
　そんな答えと同時に、ルシアがクレーターの影から姿を現した。その目は、どことなく哀れみのような物をちらつかせている。
「すまん・・・・我を忘れてこのざまだ・・・・・・」
　横たわったままキーンは言う。
「貴方の責任ではありません。むしろ我々が・・・・」
「結局はあの術に抵抗しきれなかった俺の敗北だよ・・・・・あんな事で我を見失うなんてな・・・・」
「仕方ありません。貴方も全能な存在ではないんですから」
「俺もまだまだ修行が足りないか・・・・・」
　寝そべったまま、天に突き出した拳を眺め、呟くキーン。
「過去に・・・何かあったんですか？」
　恐る恐るルシアは問いかける。今回、ラーベルクによって開放された彼の心は、最も大きく抑制されていたそれを暴走させ、惨劇と言って良い結果を生みだしてしまった。
　それは狂気としか言いようがない物ではあったが、何の理由も無しにそこまで尋常ではない状態に至るはずもない。本来ならばラーベルクの示した異性に対する欲望に走ってしかるべきである。そう思ったからこそ、彼女はその真実を知りたいと思い、意を決して尋ねたのである。
「キーンさんは、内に秘めたる物が大きすぎたんです。それが今回の結果を招いたんです・・・・」
「そりゃ、人生色々あるさ・・・」
「そうではありません・・・・・あの狂気の・・・悲しみと苦しみと怒りの入り交じった感情の源泉をお聞きしたのです・・・・・」
「知ってどうする？」
　静かにルシアを見つめて問いかけるキーン。
「どうも出来ません。でも、話せば少しは楽になれるかも知れません」
　言われて彼はしばし思案した。結果的には言っても言わなくても同じだという思いが強かったのだが、先の暴走の反動なのか、彼の精神は少し弱くなっていたのか、怒りの感情に任せて暴れた自分を恥じたのか、彼は今まで自身に抱え込んでいた思いを口にした。
「・・・・・俺は仇を捜している」
　そう切り出して彼は話を続けた。
「俺の生まれた村は、流れ者の傭兵達が集って作った集落が発展してできた村で、そのために主な収益が『傭兵家業』なんて変わった村だったんだ」
　語り始めるキーンの中で、先程の破壊衝動が僅かに燻った。あの日の事を思い起こす事で、再び内に秘める感情が騒ぎ出したのである。
「護衛を依頼しに商人や貴族が来るのは日常茶飯事で、どっかの国が傭兵の大口契約を求めてくる時すらある。同じ村の連中が戦場で敵対するなんて事すらあった。とにかく村に生まれた者は男女問わず、まず戦士であることが要求されて、子供のうちに訓練を受ける事が義務になっている位に徹底していたんだ・・・・・・」
　そうした語りをルシアは静かに聴き続けた。
「そうした実績で、最強の傭兵村なんて言われていたんだけど、ある日、その村が全滅した・・・・・・俺はその場に居合わせる事が出来なかったんで、何が起きたかは知らない。だけど、村に戻ってみると、あるのは死体ばかりだった。襲撃の理由なんて判るはずもない上に、どんな理由であっても、そこまでやる必要があるのかと聞きたいくらいに、酷い状態だったよ。そう、アレは惨すぎる・・・・・」
　思い起こした過去に誘発された破壊衝動を深呼吸で抑えるキーン。少しの沈黙の中、じっと黙って次の言葉を待つルシアを見て、息を整えた彼は再び語り始める。
「・・・で、短絡的ではあったけど、俺は無念だったろう仲間の敵討ちを決意したって訳だ」
「だから・・・・傭兵に・・・・・」
「ああ、もともと俺に出来る事はそれだけだったし、渡り歩いているうちに何かしらの手がかりにも会えるかもと思ってな・・・・・」
　だからこそ、ラーベルクの交渉の際にも、召し抱えられる事を拒絶したのである。
「それで何か？手がかりでも？」
「全く皆無。ただ、襲撃された村を一通り歩き回って気づいたのは、仲間の死体には武具類による傷が少なかった・・・・・って事だ」
「？」
「つまりは、爪傷や牙傷・・・あるいは撲殺と、獣による仕業と思える傷ばかりだったんだ。だけど、多様なモンスターが群を成して村を襲うなんてのは稀な事だし、群を成す知能があるモンスターが、村を意味無く襲うって事も考えにくい」
　当時の様子を脳裏に思い浮かべ、堅く拳を握りしめるキーン。
「旅の中で、手がかりを求めて世界を放浪していたある日、俺は思ったんだ。俺の『敵』は、モンスターを手なずけているのかもしれない。もしくは知能の高い特殊な個体に統率されているのでは・・・・ってね。そうして、知能の高い変わり種のモンスターを探し求めていたら、古種モンスターとか古種ライカンスロープって存在を知って、こいつ等かもと疑って、そう言った連中を捜し求めたて、色々な傭兵団・軍隊・部族を調べたが、条件に該当する連中はこれまでいなかった・・・・」
　キーンの口調は苦い思い出を語るような感じであったが、心中は激しい憎悪に燃えている。それは、彼の暴走が全てを物語っている。
（ひょっとして・・・・・）
　その話をじっと聞いていたルシアはふと思った。
　ラーベルクとの会話を立ち聞きした程度ではあるが、彼等のような古種ライカンスロープという存在は、想像される稀さから、そう多くは存在しないはずである。
　ならば、彼等を配下に持つ魔王一派が、キーンの一件に関与している可能性はないのだろうか？
　それについては、キーンも考えている事だろう。彼がそれを口に出さないのは、確証が無いためであろうが、もし、生涯をかけてであろう仇敵に遭遇したとき、キーンはまたあのような状態になるのではないか？
　そんな事を考えると、彼女の身は自然と震えた。
「今も・・・・その意志は強固な物ですか？」
　唐突にルシアは尋ねた。
「んあ？」
「仇に遭遇できたその時、キーンさんはどうされますか？」
「・・・・・・・」
「やはり、決闘・・・・・ですか？」
「・・・・・いや、まずは理由を聞くだろうな」
「理由？」
　それはルシアにとっては予想外の返答であった。
　少し呆けた様子のルシアに微笑み、キーンはおどけた口調で語った。
「ああ・・・・復讐を誓った子供の頃から今まで、傭兵として世間を色々と見てきたからね、人それぞれに事情という物が存在するのを知った。だから、出会ってすぐに闘う・・・ではなく、何故村を襲ったかを聞きたいと思ってる。俺の村も傭兵稼業で色々とやっていたから恨みを持つ奴も少なくはなかっただろうし、聞いてみて納得して、闘う必要がなければ、闘わない。だが・・・・」
　そこで彼の様相は一変する。表情に笑みこそ浮かべてはいたが、全身から殺気がみなぎっていた。
「だが・・・・村を全滅に追いやった理由に納得がいかなかった場合は、当時の責任者達は皆殺しにしてやる」
　拳を強く握りしめキーンは誓う。
「あまり無茶はなさらないで下さい」
　ルシアは、その気迫のこもった決意に、ある種の危険性を感じた。
　幼き頃からの雲を掴むような目標。その達成のみに人生を費やしているとも言える彼は、目的達成こそが全てとなりかねない。それは決して正しい人生を歩んでいるとは言えない。
「分かってるよ。君との約束も覚えている・・・・」
　ルシアの想いを深く考えず、言葉通りに解釈したキーンは、ふと思い当たって、ルシアの顔をまじまじと見つめる。
「あ、あの、何か？」
「無茶な事って言えば、ルシアの方がそうだろ。あのウナギ頭に挑んで・・・・」
「あ、あれは・・・私の責務です。あの場でまともに闘えたのは私だけでしたから・・・・・」
「それでもだ。ウナギ頭は別として、俺が苦戦していた四本爪の奴が四体も残っていたんだ。戦力分析できなかった訳じゃないだろ」
「でも、行かなければキーンさんの身が・・・・・」
「・・・・・なぁ、ルシア」
「はい？」
「何故、俺をそこまでして気にかける？」
　ルシアの一言によって、あの時の彼女の行動が、王女に対する忠義ではなく、自分の身を案じての行動であることを悟り、彼は唐突に質問の内容を変えた。
「確かに君の目的には、俺は不可欠かも知れないけど、命を賭けるほどのモノじゃないだろ？待てば別のチャンスも幾つかはあるだろうに・・・」
「よく・・・・分かりません。とにかく、あのまま貴方を放って置くわけにはいかないと思ったら・・・・・」
　それは彼女の本音と言えた。何故、放置しておかなかったのか？
　主たる王女を守るため。
　闘える者が自分だけであった義務感。
　キーンの窮地に対する危機感。
　あるいは、孤独に闘う彼に対する負い目・・・・
　おそらくはその全ての感情が含まれていただろうが、優先した思考が何だったのか、彼女自身にも判らなかった。
「まぁ、自分で言うのも何だけど、敵に回したくないのも確かだろうな・・・・・」
「それも・・・・ありました」
　ルシアは心中を素直に語った。
「でも、それ以前にキーンさんを失いたくないと考えたのも事実です」
「・・・・・・・どう言った心中が含まれているのか・・・・俺には容易に理解できないが、そんなに貴重じゃ無いぞ。俺は・・・・」
「何故です？」
　力強くルシアが問うた。
「何故キーンさんは、自分を過小評価するんですか？戦士として御自分に自信を持っていれば、一軍の将になる事くらいは確実ですのに・・・・・」
　これまでの王女等とのやり取りを見ていて感じた疑問を、ルシアが問う。
「将・・・・・か・・・アレは無理だよ」
「何故です？」
「アレはみんなを率いる人間だ。俺にはできない。俺の闘い方は実戦の場で、命懸けで独学してきた事だからな。大勢の人間を率いるような経験はない。逆に、独りで大勢を相手にする闘い方だ・・・・」
「・・・・・・それでも・・・それでも私は、貴方の存在を認めています・・・その・・・立派で勇敢な方だと・・・・」
　その言葉は『男』に対して語るのは、この国ではタブーである。それ故、キーンにとっては新鮮な響きであった。
「定住もしない、何時、のたれ死ぬかも分からない奴をか？」
「問題ないです。私もその位、覚悟できてますから」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・！？」
　じっくりと考えて、ようやくその言葉の意味を理解したキーンは、この時初めて身を起こし、仰天した眼差しでルシアを見た。
　そこには、してやったりという表情の彼女がいた。
「キーンさんでもそんな顔できるんですね」
　屈託無い笑みを浮かべてルシアは言った。かなり意外そうな口調でもある事から、かなり呆気にとられた表情をしていたのだろう。
「ひょっとして、ついてくるのか？ずっと・・・？」
　キーンとしては、ルシアの依頼は、この国を出て、手近な村や街まで連れて行けば、終わりだと思っていたのである。
「他に身寄りの無い者を世間に・・・・私を捨て置くつもりだったんですか？」
「・・・・う・・・いや・・・」
「足手まといにならないようにしますから・・・・」
「待て待て、そこまで話を進めないでくれ、まだ現行の依頼すら終わっていないのに、次の予定を決められちゃ困る。生きて帰って来てから・・・全てはそれからだ」
「それでは、生還して下さいね」
「最初に塔に入る時にも言ってたぞ、そんな台詞・・・・・それにこれは、俺だけの問題じゃないぞ。ルシアも生き残る事だ。こっちより危険は少ないかも知れないが、今回の一件で、君もかなりの無茶をする事が分かったからな。実力もわきまえずに突出して、返り討ちにあわない様にな・・・・・・」
「そんなに・・・頼りないですか？」
　その場の雰囲気を紛らすつもりで語った一言は、彼女の心に小さな楔を打ち込んだ様だった。
「心臓に悪い」
「・・・・・・・・・・・・・」
　キーンにしてみれば言葉を選んだつもりであった。だが結局は同じだった様で、ルシアは少し気落ちした様子を見せた。
「そうですか・・・・・」
「あ～っもう、予約者の保護だ！これをやる」
　そうした空気に対しては耐性のないキーンは頭を掻いて言うと、どこかしら照れた様子で、懐から二つのペンダントを取り出した。
　それは銀製の枠がつけられた、青っぽい正立方体の石で、その表面全体に何かしらの文様が細かく刻まれていた。
「何ですか？魔法の御守りか何かですか？」
　一つを受け取り、しげしげとそれを見つめ、ルシアが問う。
「ちょっと違うが、使う者によってはそうなる」
「？」
「こいつは、『魂の絆』って呼ばれる一対のアイテムで、二人が身に着ける事で能力を発揮する」
「能力？」
「ああ、使用者二人の間で、互いの『技能』を使うことが出来るようになる。つまり俺とルシアが身に着けた場合、俺は忍者としての能力を、ルシアは闘気士の能力を得る事が出来る」
「わ、私が闘気士の能力を？」
　キーンの闘い方を思い出し、自分も同様に闘う姿を思い浮かべ、ルシアが驚きの声を上げる。
「ああ。だけど注意することが二つある。『魂の絆』によって、互いの能力を共有している訳だから、一方でもこれを外すと、その効果は失われる。そして、得られるのは技能だけで、熟練度までは得られない。つまり、実力そのものに変化は無いわけだ。例えば、ルシアが闘気士としての能力を身に着けたとしても、俺が塔の緒戦でやったような、大型の気孔弾はまず放てない。出来たとしても、精神力が保たずに気絶するだろうな・・・その位扱いが難しいんだ。それでも、気のコントロールで肉体の強化くらいは出来るはずだ」
「それでは、キーンさんは私以上の忍者になるわけですね」
「ある意味、そうなるな・・・・それが『魂の絆』の特徴なわけだが、今のままでは駄目だ」
「何故です？」
「技術を得ても、使い方を知らなければ、開発されていない素質と同じだ。だから、多少なりとも技術の使い方を知っておく必要がある」
　そう言ってキーンは、『魂の絆』の一つを自分の首にかけると、ルシアもそれに倣う。
「と、いう訳で、塔の再攻略前に即興で忍者技能に関するレクチャーをしてくれないか？」
　本来は、その場の雰囲気を誤魔化すために持ち出した物だったが、闘いにおいて利用できる物は利用するという、キーンの基本姿勢がルシアに教えを求めた。
「良いですよ・・・・もちろん、キーンさんも闘気士の教えをして下さるんですよね」
　屈託のない笑みを浮かべて交換条件を出すルシアを見て、キーンは再び気まずい雰囲気に呑み込まれた。