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2011/01/29(土)に投稿された記事
くすぐりの塔R -第21話- 『新たな力』
キャンサーさんが執筆された「くすぐりの塔」第21話です。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・って、満たされてどうするぅ!!!」
いきなりキーンが自分に向けて突っ込んだ。
男という存在は、興奮している時は前後が見えなくなり、それが冷めると急速に冷静さを取り戻す。
もともとこの国の男性に対する風当たりの悪さから、やや欲求不満であった彼は、このフロアの実態を知るなり暴走してしまっていた。表面上は平静さを保ってはいたが、全区画の催しを見学して回った辺りが、彼の『男』の本質が素直に発現したと言えた。
ともあれ、やや遅いと言った感もあったものの、キーンは本来の落ち着きを取り戻し、主目的であった上のフロアへ向かう道の捜索に入った。
(門番のオーガーは専用通路を使えば・・・とか言ってたよな)
前の記憶を呼び起こしながら歩くキーンは、ややしてからピタリとその足を止めた。壁という行き止まりに突き当たったのである。
「ミラー様、この様な所で何を?」
不意に背後から声がかけられた。真正面が壁である以上、常識的には背後からというのは当然ではあった。
キーンが不自然さを見せないように振り向くと、そこには年老いた・・・・という表現が似合うガーゴイルが佇んでいた。
通常、ガーゴイルとは翼を持つ悪魔をモチーフに作られた石像が魔力によって動き出した物で、年老いたという形容詞が使用される事はまず無い。
だが目の前のそれには、確実に人生の重みを感じさせるような雰囲気を持っていたのである。
「ついつい夢中になってしまった自分に嫌悪していたところだ」
これはある意味事実であった。こんな時、ルシアでも同行していてくれたら、ここまで脱線はしなかったであろうと、単独行動の欠点を嘆いた。
「それよりお前は?」
「おお、そうでした。以前、頼まれていました発掘品の整理が出来ましたのでその御報告に伺おうとしたところで、ミラー様を見かけましたので・・・・」
(発掘品?)
自己紹介が無かった事から、このガーゴイルはミラーとの面識がある事がうかがえたが、それよりもキーンの興味を引いたのは発掘品という言葉であった。
この塔の経緯は知りようもなかったが、少なくとも遺跡の部類に入る事はキーンにも予測できた。しかもそれが、かなり高レベルな物だろう事も・・・・
おそらくはそこから発掘されたのであろう品々があると聞かされては、キーンの冒険者魂に火がつかない訳が無い。
「御覧になられますか?」
「もちろん!」
キーンは即答していた。
キーンはガーゴイルの案内によって、同フロアの別区画にある、とある倉庫へとやって来た。
「どうぞ・・・・」
ガーゴイルに促され入った倉庫はかなり広く、壁に立てかけられた棚に、大小様々の品が幾つも並べられていた。
「思っていたより凄いな・・・・」
「お申し付け通り、使用不可の物は全て廃棄しましたが、中には用途すら不明な物体もありましたので、それは残してありますが・・・・・」
「思っていたより凄い」
キーンは同じ言葉を口にする。だが、そこに込められた想いには雲泥の差が生じていた。
無理もない、無数に並ぶ各種アイテム群の中には、キーンが文献でしか見たことのない物が数多くあったのである。
「こいつはマジカルブースターみたいだな」
手近な棚に立てかけてあった、小さな宝玉のついた小降りのロッドを見て、キーンは呟く。魔法使い用のアイテム故に、彼には利用価値はないものの、魔法使いが所持すれば、特に攻撃呪文の威力が増大する類のアイテムであった。
「こ、これは・・・・伝説のハートムーンロッドか!?」
妙に装飾の多い、ハート形のウエイトが先端に着いたロッドを眺め、キーンは驚いた声をあげる。真贋は定かではないが、これはどこかの国の伝説の王女が使用したアイテムとして知られ、魔を浄化する能力を秘めていると言われている。
「ん?これは?」
無造作に置いてあった、古ぼけた麻袋を開けてみると、その中には、まだ研磨されていない形も大きさも揃っていない青い宝石の原石のような物が幾つも入っていた。
「ああ、これは・・・」
ガーゴイルが説明しようとした矢先、キーンがそれを手で制止した。
「いや、判る、魔晶石だな」
袋を棚に戻してキーンが言うと、ガーゴイルもそうだと頷く。
「左様で・・・」
魔晶石、単体では何の価値もなく宝石としては見向きもされない石ではあるが、その正体は精神力を結晶化したという不可思議な石で、魔法を使う者であれば例外なく重宝される、いわば精神力の予備タンクであった。
「こいつはグレネードと呼ばれていたやつだな」
ピンの付いた縦長の錆びた缶を手に取りキーンが呟く。
こんな調子で順に棚を眺め歩いていた時、彼の目に一つの物体が目に留まった。そしてその正体を思い出した時、彼は思わず口笛を吹いていた。
「こいつは拾い物だ・・・・・」
その物体の近辺には、大粒の宝石・水晶玉・宝玉が陳列されていたが、キーンは一つでも軽く屋敷が建てられるだろう、それらの宝石類には目もくれず、無機質な金属製の球体を手に取った。
大きさは手に納まる程度で、材質は何の価値もない古びた金属質。表層に古代文字の刻印がなされているだけの物体であったが、それを持っているだけでキーンの手は震え、興奮が止まらなかった。
「おい、これを貰いたいが、いいか?」
喜々として言うキーンの手の物を見て、ガーゴイルは怪訝そうな表情をした。どの様な凄いアイテムも、それの真価を知らない者から見ればただのがらくたとしか見えず、ガーゴイルもそうした価値を知り得ない側の存在だったのである。
「その様な物を?」
「やっぱり、知らなかったか」
この場所に、無造作に置いてある事で、そうだとは思っていたキーンであったが、実際にそうした発言を聞かされると、知らないとは恐ろしい事だとしみじみ思った。
「こいつは召還球だ」
「しょ、召還球?」
ガーゴイルにはその名称すら初耳だった。
「召還術は知っているだろう。時間・場所・星の位置・その他条件・・・・・これらが一つになり、魔法陣という仮そめの門で異界の生物を召還する術だ」
「は、はい・・・・簡単な物では精霊魔法から始まり、条件さえ整えば悪魔をも呼び出すことも出来る・・・・ですがそれは・・・」
「ああ、悪魔クラスになると、その技術は高度で、完璧な条件が揃うのは数十年に一度しかないと言われている。普通、それを補うために、魔術や儀式や生贄が用いられる・・・いや、必要になると言った方がいいかな・・・・」
「そのための玉ですか?」
「そうだ・・・・だがな、こいつは少々出来が違う。こいつは古代文明の技術で作られたものでな、条件があるが、場所や時間なんか問題なく、好きな場所で召還が行えるアイテムなんだ。もっとも、一回限りの使い捨てだが・・・・・」
「既に所定の条件を満たした魔方陣の小型版・・・・・と考えてよろしいので?」
「俺も詳しくは知らないから上手く説明は出来ないが、そういった物だな。これがどれくらいのレベルの物を呼び出せるかは分からないが、本来は低級タイプの物がたくさんあって、誰にでも簡単に精霊魔法が使える・・・・って、感じのアイテムだったらしい・・・・」
キーンは金属球の表面に刻まれている刻印を眺め、言葉を続けた。この文字さえ読めれば、もう少しその質が分かったであろうが残念ながら彼にその様な知識は無かった。
「こいつはそんな低級な物じゃないとは思うんだが・・・・」
「はぁ、ですが何を召還し、何をなさるのですか?」
通常、飛び出したからにはそれに要求を求めるのが通例である。
「召還した物にもよるが、とりあえずは戦力にしたいな」
「戦力・・・・・ですか?」
ガーゴイルには、そうまでして力を求める理由が分からなかった。
「ああ・・・・で、そんな訳で、使ってみていいか?」
「構いませんが・・・・」
困惑した様子でガーゴイルは答える。説明を聞いても、あの掌に納まる程度の物体にそこまでの能力が存在しているとは到底思えなかったのである。
「それじゃ・・・・」
キーンは金属球を頭上に掲げ、左右(あるいは前後)に僅かに出ていた突起を同時に押し込む。すると、金属球が上下にスライドし、そこから細身のワイヤーの様な物が飛び出し、直径五メートル程の円を形成する。
キーンは円が完璧に構成された事を確認すると、それを前方の開けた空間に投げつける。放り投げられた金属球は吸着する様に床に落ちると輝きを放ちだし、更に細かいワイヤーを出して床に魔法陣を形成しだす。
金属球の放つ光は徐々にワイヤーにも広がり、ワイヤーの一本一本に刻まれた微細な刻印が浮かび上がってゆき、更には描かれた円内の床にまで浸透していくように広がっていく。その光が魔法陣全体に行き渡った時、全ての準備が完了する。
「いよいよだな」
キーンは魔法陣の前まで近づき、息を呑んだ。
「異界に住む強き存在よ・・・・・」
キーンが召還の言葉を口にし始めた時だった。全く同じタイミングで何者かの声が部屋に響き渡った。
『異界に住む高貴なる存在よ。古の盟約、我が呼びかけに従い、仮そめの門より姿を現し、我が声に耳をかたむけよ・・・・』
「!?」
それは間違いなく召還に用いる言葉であった。どこからかは分からない。だが、キーン以外の何物かが現状を利用し、何かを呼び込んだのである。
その言葉に反応し、魔法陣の中心であった金属球が更に光を放ち僅かに放電したかと思うと、突如一変して光を失った。光量が下がったのではない。魔法陣の描く円の内側全てが『闇』となったのである。
「来た!」
緊張感に身を包み、冷や汗を流しながらキーンは叫んだ。もともと呼び込むつもりではあったが、自主的であるのと他人に呼んでもらったのでは、心構えに関して若干の違いが生じる。
魔方陣に限定されていた『闇』が、突如部屋全体に溢れた。それが煙なのか黒い光なのか全く判別のつかないまま、広がりを見せ室内全体へと広がり周囲を闇の一色で塗りつぶす。
壁面に設置されていた棚の向こうにも闇の空間が広がり、果てしない虚無の世界へと変貌させる。
中から現れようとする存在によって、キーン達のいた部屋という一定範囲の空間が、異次元の結界に包まれたのである。
その偽りの世界の中央で、召還球の形成した魔法陣が再び光り出して浮かび上がり、その中心で『闇』が集約し、一つの形を形成する。
召還球を異界の『門』として、向こうの世界から圧倒的な力を持つ何かが姿を現そうとしている。その圧倒的気配にキーンは気圧されていた。
そして突如、魔法陣で集約していた闇が四散した。
「・・・・・!」
キーンが息を呑む。そこには異世界の秩序によって形成された全く異質の存在が鎮座していたのである。おおよそこの世界のどんな生き物とも酷似しておらず、モンスターを合成し一匹のモンスターを作る者ですら発想し得ない存在がそこにはあった。
キーンは本能的恐怖を感じた。それは太古の昔、人類が遭遇した『彼等』に対する恐怖が遺伝子に記憶されていたのかもしれない。
『我を呼びだしたのは貴様か?』
心と空気を振るわす声が一帯に響いた。声帯とテレパシーの両方から放たれた問いかけだった。
「厳密に言うと違うが、そうだ」
キーンは辛うじて、いつもの調子で答える。
『何故、我を呼びだした』
「何でだと思う?」
『・・!!!』
それはいきなりであった。突如、召還を受けた異生物が巨大な口を開き、衝撃波を吐き出したのである。
キーンは槍を床に突き立てて身体を支え、辛うじてそれを堪えた。だがその一方では衝撃に耐えきれなかったガーゴイルが悲鳴すら上げる間もなく、粉々に砕けて散っていた。
「冗談は通じないか・・・」
あまり度の過ぎた軽口は受け入れてもらえない。それを認識し、呟くキーン。
『改めて問う、何故、我を呼びだした?』
「・・・・古の盟約に従って取引を行うため・・・・」
キーンは答える。その途端、異性物の目らしき物が大きく見開かれ、好奇の眼差しを彼に向けた。
『ふ・・・・・・ふぁっっははははははははははははははは』
笑いという強大な声と思念がまとまってキーンの耳と脳裏を刺激した。
「何が可笑しい?」
『これが笑わずにはいられるか。数千年ぶりに我を召還するほどの門ができたので来てみれば、相手は身の程も知らん小僧とは・・・・・貴様、古の盟約の内容を知って、言っておるのか?今なら特別に考え直すチャンスを与えないではないぞ』
「体力・知力・戦闘力・・・・・何でもいいから召還した相手と勝負を行い、その能力を認めてもらうか勝利して、願いをかなえてもらう・・・・ってのが、こちらの世界とあんたの世界の、時の覇王が定めた掟だろ」
それはこの世界の聖書にも匹敵する古い文献に記載された、太古からの伝えられていた習わしであった。
『それを知って尚、我に盟約の遂行を求めるか?』
「悪いが、小僧である俺が、あんたを知っているはずもないと思うが」
『なら聞くがよい。我が名は『セイファート』異界の闘神と呼ばれ、かつて貴様の世界でも猛威を振るった四大魔王の一人だ!』
神に仕える神父あたりであれば、その黙示録戦争級の悪魔族の登場に、腰を抜かすかしたであろうが、彼にとってのそれはあくまで伝説上の口伝の産物でしかない。そのあまりに古く高名すぎるが故に、実物が登場したと言っても実感が得られなかったのである。
神が人の姿になって、光臨しその正体を公言したところで理解者が皆無であるのと同様、伝説の悪魔もある意味美化されすぎて、目の前に存在するはずがないという先入観があったのだ。
「・・・・・そう言えばそんな伝説もあったっけ?四大魔王か・・・・量産品の召還球にしては、凄い物を呼び出したな」
『それを知って尚、我に挑むか?』
「挑まないと呼び出した意味がない」
冷静な第三者が見れば、身の程知らず以外の評価を出せなかったであろう。だが当事者たるキーンは、あまりに圧倒的な気配を間近で受けて、そうした恐怖感が麻痺した傾向にあった。
『人間よ、我は寛大だ。故に忠告しよう。退く事も無意味ではない。我等に比べれば瞬き程度の寿命しか持たぬ身を自ら滅ぼす事もあるまいに・・・・』
召還により呼び出した魔族との『古の盟約』による取引とは、一言で言えば博打である。召還者である人間が勝てば、というより悪魔がその人間を認めれば、人智を越える魔族の知識・魔力を始めとする能力を我が物として従える事、あるいは協力を得る事が出来る。その一方で、敗北は無条件に死を意味するものとなっている。
「あんたの好意を蹴って悪いが、何の思惑か、折角、有数の実力者の力を得られるチャンスが来たんだ、やらせてもらう。俺の一番得意な実戦で」
真偽の程を別として、文献に記載された過去の召還において、人間が勝利したケースも少なくはなく、完璧な勝利でなくとも良いというハンデが人間側には存在していたため、キーンはあえて勝負の道を選んだ。
これはセイファートの存在がキーンの理性を麻痺させ、秘められた獣性・破壊衝動を刺激したという一面も否定できない。
『愚かなり・・・・』
セイファートと名乗った魔族の『声』は震えていた。無意味で結果の見えている闘いを挑むキーンに対し、そして像が蟻に挑まれるような状況に、自分が拒否権を持てない現状に対し怒りを堪えているかの様であった。
「それが人間って生き物だよ!」
キーンが床を蹴って跳躍し、宙転を行う勢いを利用して槍を振り下ろした。
『!?』
蚊の一撃を受けるような物だと、腕を上げ槍の一撃を受けたセイファートが僅かに驚愕した。槍の刃を受け止めた腕に刃が食い込み皮膚を裂き、僅かながら体液が流れたからである。
彼の皮膚の硬度は尋常ではない。これまでの歴史においても、人間の一個人の攻撃によって身体を傷つけられたという事はなかった。ある意味それが自慢でもあった彼は、気乗りもしていなかった相手に、予想すらしてなかった手傷を負わされたのである。
油断もあったかも知れなかったが、格下と決めつけていた人間に傷つけられた彼は、たちまち屈辱と怒りで先刻の慈悲の心を押し流した。
「よし、斬れる!」
一方でキーンは確信めいた声を上げていた。世間一般には魔族に対しては、神の加護を受けた武具や、魔力の付与が行われたアイテムでなければ歯が立たないと言われている。そうした有効アイテムを、メルフィメールの結界破壊の際に失っていた彼は、まず『気』を込めた武具の全力攻撃を試してみたのである。結果はかすり傷に終わったものの、全く歯が立たない訳でもない。この事実を知っただけでも収穫と言える。少なくても勝率0%ではないというだけではあるが・・・
『貴様・・・・・一体何者だ!』
セイファートが巨大な腕を振って強大な魔力をダイレクトに放出した。内容的には闘気士の闘い方に似ていた。
「興味本位で『門』を開く好奇心の大きい、ただの人間だよ!」
キーンは高密度のそれによって歪んだ空間を見定め、放出された魔力の軌跡を読みとると、身を翻してそれをかわし、再び槍を叩きつける。
だが今度は、セイファートの『手』が包み込むようにして槍を受け止め、その衝撃を吸収した。
『ただの人間ならば今の一撃で終わっておる!』
槍の切っ先を包み込んでいた『手』が一気に縮んだ。
「!」
柄を握るキーンの手に嫌な感覚が伝わった。槍の切っ先が握り潰されたのだ。
キーンは柄を離し、すぐに間合いを取ると剣を引き抜き構えた。
『スピード・パワー・・・・どれも我の知りうる人間の上限を超えている。今の時代の人間は全てこうなのか?』
残った槍の柄をキーンに投げつけ、セイファートは問う。
「いいや、多分平均的にはあまり進化はしていないさ。中には人為的に進化した連中や、逆に退化した連中もいるが、大差じゃない」
飛来した柄を軽く避けて答えるキーン。
『ならば貴様は何だ?』
「突然変異・・・・というより、最終段階にまで成長できた、ある部族って所かな?」
キーンは再び打って出た。
セイファートも両方の『手』を刃状に変化させ、迎え撃つ。連続して繰り出される突きをキーンは器用に避けながら、チャンスを見てはセイファートの身体に斬りつけるが、彼の一撃を警戒し硬化させた皮膚に痛烈なダメージを与えるには至らなかった。
迂闊に近寄れば、敵味方関係なく切り刻まれるだろう両者の凄まじい応酬が続く中、キーンは徐々に押されていった。剣技のスピードに関しては若干彼が上回っていただろう。にもかかわらず彼が押され始めたのは、相手が二刀流から三刀流そして四刀流と腕と刃の数を増加させた為である。
『ここまで我とやり合うとは大したものだ。過去、我に挑んだ『勇者』共より、遙かに手応えがあるぞ』
「俺の実力は歴代屈指は確定かい!」
キーンは吠えて防御に専念し始めた。
だが彼にとって不利になっていくのが分かる現状を維持するのは得策ではない。過去多対一の闘いが多かった彼は、不利な状況は早めに変化させるように努める傾向があり、その性格がこの場にも現れたのだった。
そしてまたも彼は、セイファートを驚かせる行為に出た。
突き出された彼の刃の一つを左手で掴み取って受け止め、残る三本の刃を右手で持った剣で強引にまとめて振り払うと、すぐに剣を手放し、左手で捕らえている刃に気を込めた拳を叩きつけた。
その攻撃の効果は如実に表れ、攻撃を受けた刃は土のように崩れ去り、床に散って消滅した。
『貴様!我の身体を!!』
「どうせ再生可能なんだろ!その位の傷で怒るな!!」
呻くセイファートの顎と思われる部分をキーンが蹴り上げた。とにかく虚を突き、相手にペースを握らせない。伝説上の魔族が相手となれば、そうでもしなければ生き残る見込みさえ無い。そう判断しての攻撃であった。さもなければ、魔族に直接触れるなどといった常人が躊躇するだろう行為など行うはずもない。
『小賢しいぃぃ!』
セイファートの怒声と共に、彼の全身から魔力が放出された、否、溢れ出たという方が正しいかも知れない。爆発的に広がったそれは、キーンに逃げる隙も与えず彼を捕らえ、その動きを制すると、間髪入れず刃で斬りかかる。
魔力に圧迫され、動きの鈍くなっていたキーンは回避もままならず、幾筋かの傷を体と鎧に負わされた挙げ句、壁に叩きつけられた。
「さ、流石に伝説に名を残す魔族さん・・・・・桁が違う」
キーンは痛む身体に鞭を打って起き上がりながら口の中に溜まった血を吐き捨てた。
彼は考える。少なくても長期戦になっては、ただでさえ皆無の勝ち目が完全に無くなる。魔族の回復力は人間の非ではなく、ミラーとも比べ物にならない物であろう事くらいは予測できた。
『貴様も賞賛に値する。我にここまで手傷を負わせた人間は初めてだ』
「あんた、産まれた頃から最強だったって事かい?そんな長い間、生きていて人間の事をいちいち覚えているのか?」
『印象に深い人物はいつまで経っても忘れられるものではない・・・・・・・貴様もな。我に最初に手傷を負わせた人間として、永遠に覚えておこう』
「出来ればもう少し良い結果を残したいな・・・・最初に倒した人間とか言う歴史で・・・・・な!」
キーンが気孔弾を連射する。並の闘気士では気絶するだろう数の気孔弾をおかまいなしに放ち続け、セイファートも魔力の障壁で応じたが、数が結果に繋がったのか、数発に一発はその障壁を貫通し、その身体に着弾した。
《こんな人間が実在するとはな・・・・》
命中する気孔弾は、セイファートにある程度の『痛み』を与える事には成功していた。だが、障壁により威力が減退していたそれは、彼自身の強固な肉体に効果的ダメージを与えるまでには至ってはいない。
それでも、並の人間の力量を熟知しているセイファートには、今自分が受けている些細なダメージが、人間の定義を遙かに超えた物による結果である事を素直に認めていた。
基本的に人間を格下以下に見ている魔族にあって、セイファートは頑固な実力主義者という傾向がある。強い者は強く、弱い物は弱い。
過去、数例ある『人間に敗北した魔族』という歴史事実に対し、大半の魔族の評価は、まぐれの結果という定説がある中、彼は素直に相手の実力がその魔族を上回っていたのだと認めている。
無論、彼自身が人間に負けるなどとは微塵も考えていないところが、彼の魔族としての逃れられない性かもしれなかったが、キーンにとっての勝機はその一点にあるとも言えた。
『そろそろ無駄な足掻きは止めろ』
今尚続く攻撃を平然と受け止めながら、セイファートは足を進めた。着弾による爆煙や、魔法障壁に弾かれて壁や柱に誤爆して噴き上がる埃と煙で視界は殆ど失われていたが、キーンの攻撃の射線がその位置を彼に教えていた。
『後、二度程、攻撃で我を驚愕させる事が出来たら、そちらの勝ちとしても良かったが・・・・やはり人間では、ここまでが限界か・・・だが、誇りに思うがいい。我の記憶から、貴様は永遠に消えることは無いだろう』
ある意味、それは確かに栄誉な事と言えたかも知れない。知る由も無い事だが、魔族達の中ですら、セイファートに名を覚えてもらうという事は、かなりの身分か実力がなくては適わないのである。
彼を崇拝する者がいるとしたら、魔族・人間に関わらず羨ましがられること請け合いであった・・・・が、キーンにとっては何の感慨も湧かない事も事実である。
人の価値観は多種多様であるという、良い見本であった。
『華々しく散ってみせよ!』
間合いを詰めたセイファートは、彼なりの敬意を込めて、魔力放出による滅殺ではなく、腕を刃状に変形させての剣撃を繰り出した。
ダイヤより硬く硬化させた刃を超振動させての一撃であった。地上にあるありとあらゆる物を容易に切断できる一撃が容赦なく振り下ろされた。
「!?」
この世界の、どの様な防御も無意味な一撃が床にまで達したのは当然の現象であった。だが、手応えが感じられないのは、あり得ない事だった。つまりは目標を外したのである。それでも、気孔弾は今も眼前の煙から繰り出されている。
セイファートは、今度は爆煙の中の何処にいても捉えられるように、横振りに刃を繰り出した。にも拘わらず、それは相手を捉える事ができなかったのである。
セイファートは全身から軽く魔力を放出し、周囲の視界を遮る煙を一斉に吹き飛ばした。
「!」
半分予想していた事ではあったが、セイファートが目標としていた位置に、キーンは存在しなかった。ただ気孔弾が別方向から飛来して直角にカーブし、発射地点を誤魔化していたのである。
それを瞬時に理解したセイファートは、気孔弾の軌跡を逆に追って、キーンの姿を見つけた。その時の彼は、左腕を突きつけて気孔弾を連射しつつ、右腕はしっかりと拳を固め、腰の辺りで構えられていた。
『貴様、時間稼ぎか!』
『御名答!』
セイファートが吠え、次のリアクションに入るよりも早く、キーンが右拳を突き出した。そして、右手が前に伸びきる寸前、彼は指を拳の構えから、人差し指・中指・親指を突き出す構えへと変化させた。
突き出された指先を中心に、蓄えられていた『気』が圧縮されて放出された。通常、掌から放つ気孔波の放出面を最小限にして、貫通力を持たせたのである。
簡単に言うと、水道ホースの先端を押し縮め、勢いを増しているみたいなものだったが、今回に至っては、それが高圧放出されている事に問題がある。
つまりは、この方法にはかなりの負担がかかるのである。先の例の水道ホースにしても、放出口を小さくすれば勢いは増すものの、ホース全体に負担がかかり、ホースが外れたり、場合によってはホースが裂ける事態が生じる。
気孔波に関してもその理論は同様であり、ただでさえ攻撃手法として凝縮されている『気』を更に凝縮させる事は、無茶というよりは無謀という方が適切であった。これは並々ならぬ闘気士であるキーンにとっても該当する事であり、生じる反動は飛躍的に大きい物であった。
「くっ!」
キーンの顔が苦痛に歪んだ。気孔波圧縮放出の要である三本の指が、負担に耐えかね骨に亀裂を生じさせたのである。
だが、その効果はあった。決死の意志を込めた光の矢は、まっしぐらにセイファートへ伸び、ものの見事に彼の最も分厚い胸板を貫いた。
『おおおおおおおおおっ!!!』
セイファートが驚愕と苦痛を一纏めにして絶叫した。
本来なら気孔波が食い込んだ時点でそれを爆裂四散させ、相手を内部破壊するつもりだったが、指に受けたダメージの痛みによって、そのタイミングを外してしまっていた。が、そのミスを悔やんでいる暇もないキーンは、次なる攻撃のための行動に入っていた。
『よ、よもや最も頑強な部位を貫かれるとはな・・・・・賞賛には値するが、それ故に許せんものがある。何があっても貴様を滅する!』
かつて味わった事の無い痛みと屈辱に、セイファートが唸る。魔族でも屈指の実力者と言われても、人間に多大な手傷を負った事を知られれば、その実力に関わりなく嘲笑される事は目に見えている。そんな現実問題もあったが、それにも増して慣れていない苦痛が彼から冷静さを奪った。
セイファートが受けたダメージによって、一時視界から逃したキーンを再確認した時、彼はまた位置を変え、闘いの余波でひっくり返った棚から散乱したアイテム群の中から、一つの麻袋を拾い上げていた。
『今更ここにある程度の武具が我に対する道具となり得るものか!』
セイファートは既に周囲のアイテム群の固有波動を確認し、武具にしろアイテムにしろ、その中に自分に大きな害をなす類の物が何一つ無い事を知っていた。
したがって、彼が注意すべきは敵対者キーン自身の能力のみのはずであった。しかもそれが自身の精神力に依存する物だという事を既に把握しており、ここまでの短い間の激戦によるキーンの消耗度を伺い、予測した結果、これ以上のダメージを受ける可能性も低いと確信していた。
今の最大級であろう一撃が連射されれば、あるいは自分の(悪魔族の)持つ『生命核』を砕かれ、死に至るかも知れなかったが、危惧する程の行為が人間の肉体・精神で可能であるとも思えない。
それが例え、常識の範囲を逸脱している今の敵、キーンであったとしても・・・
つまりは、今の一撃が彼の限界だと判断したのであった。
だが、キーンが口にした言葉は彼の判断とは全く異なっていった。
「物は使いようさ!」
キーンが無傷の左掌をセイファートに向けて突き出す。その掌に光が集中し、気孔弾を形成する。
先程のような圧縮放出時の威力に達する事の出来ない気孔弾ではあるが、体外での生成であるため、肉体的な負担は全くないと言って良い。この方法で威力を上げるとしたら、それに込めるエネルギー量のみとなる。
セイファートは闘気士と闘うのは始めてであった。だが、遙か以前から生きていて蓄えた知識と経験が、その特性を見抜き、キーンのしている行為が徒労に終わるという判断を下した。
『無駄だ。人間の精神力のキャパで、我を倒せる程のエネルギー弾は形成できん。先程の手法のような一点集中攻撃でもすれば話は別だが、結局のところ、穴の一つ二つを穿ったところで、我は倒せぬ・・・・・』
「点の攻撃では、個々によって位置が違う悪魔の急所でも貫かない限り勝てない事は判っているさ。だから丸ごと吹き飛ばそうとしてるんだよ」
『!』
セイファートはここに召還されてから、自分が驚きの連続に直面している事を実感し、今も新たな驚愕を感じていた。キーンが作り出しているエネルギー弾=気孔弾が、際限が無いかのように巨大化していくのである。その大きさ・密度は既に彼が塔の緒戦で放った大気孔弾をも越えている。
肌で感じるエネルギー波を単純目算しても、そのエネルギー量は先の一点集中の気孔波をも上回っている計算になってしまう。
『貴様!本当に人間かぁ!』
セイファートも、今までのキーンの敵対者が抱いた疑問を本気になって唱えた。
その瞬間、キーンが歴史上最大級になる巨大高密度の気孔弾を放った。
セイファートの全長よりも大きい気孔弾は、完全に彼を捉えた。
『!!!!!!!!!』
彼の身体は眩い光に包まれ、絶叫すらも押し流して行く。そしてその直後、残りの気を左拳に込めたキーンが、セイファート向かって駆けだした。
気孔弾に呑み込まれたセイファートは、全身を燻すようなダメージに耐えていた。そこへ、周囲を囲む気孔弾のエネルギーの光をかきわけ、キーンが突進してきたのを目の当たりにした。
『!?』
自分の放ったエネルギー派の中に飛び込む。暴挙という言葉しか思いつかなかったセイファートの顔面に、キーン渾身の一撃が叩きつけられた。
ピシッ
セイファートの優れた聴覚が、キーンの拳の奥から微かな音をしたのを聞きつけた。彼の拳の骨の幾つかが折れたのだろう。
だが、それに数倍するだろう痛みと衝撃がセイファートを仰け反らせ、弾けさせた。身体のバランスが崩れてよろめき、キーンも殴りつけた反動で後方へと退く。
その直後、セイファートを取り囲んだ気孔弾が爆裂した。
この戦闘空間がセイファートの作り出した物でなければ、この塔は倒壊していただろうと思える程の衝撃が発生し、周囲を呑み込んだ。
巻き起こった爆煙が落ち着きを取り戻し始めた頃、床に仰向けとなって倒れていたキーンは、ゆっくりと身体を動かした。
自分で放った物とはいえ、常識を越えた気孔弾は術者もおかまいなしに、その凶悪的な衝撃波を周囲に振りまいた。
さしものキーンも、その煽りを受け流すことは出来ず、鎧の大半を破壊される程のダメージを受けて倒れていたのである。
ゆっくりと膝を立てて立ち上がろうとするが、急激にその力が失せてバランスを崩し、彼は両手を床に着けた。
「痛っ・・やはりすぐには動けんか・・・・」
手を突いた弾みで骨を痛めた両手に激痛が走り、顔を歪めるキーン。
辛うじて立ち上がるものの、両脚どころか腕までもガクガクと震え、激しい疲労を物語っている。アイテムの助力を得ていたとはいえ、やはり最後の気孔弾は彼の限界を超えていた。
そんな自分を見て、無謀すぎたと自嘲するキーンの眼前に、突如巨大な影が舞い降りた。
「!!」
セイファートである。
「やっぱ、生きてたか・・・」
倒せたとは思っていなかった。せめて行動不能になっていればと期待していたが、彼の全身全霊をもってしても、目の前の悪魔は健在であった。
だが、無傷でも無かった。高硬度誇った外皮は各所がボロボロになり、四肢も大なり小なり引きちぎられ、細身の突起物などは全て消滅していた。かなりの重傷ではあったが、魔族共通の再生力であれば程なくして再生される事だろう。
『当然・・・だ。しかし・・・・・暫くはまともに動けん』
眼下のキーンを見下ろし、穏やかな口調でセイファートが言った。事実、ダメージに再生が追いついておらず、彼の表皮の所々が剥がれ一部が灰の様に崩れていた。
「だが、俺の負け・・・・だな」
珍しくキーンが敗北を口にする。現状で逆転の要素が全くない事が、彼を素直に現実と向かい合わせていた。
『負け・・・・だと?』
意外そうにセイファートが言った。
「この光景を見て、誰が俺の勝利だって判定をする?やはり高位悪魔は人の手に余る存在だったな」
闘わずとも、常識を持つ人間で在れば理解できるはずの事をキーンは口にした。言い伝えのみを信じて最初から諦めることはせず、自分自身でやってみて始めて結論に至る彼だからこその発言であろう。
『悪魔と人間の盟約における闘いにおいて、悪魔の判定勝ちや辛勝などという物はない』
大きな顔をキーンに近づけてセイファートが唸る。本心的には不本意でもあったが、彼の眼は、どう言う角度から見ても、相手が人間であるという結論しか出さない。
セイファートには、やはり信じられない事であった。肉体的勝負において無敗無敵を誇る自分を傷つけ、かつて無いダメージを負わせた存在が、そうした面では眼中にもなかった人間だったのである。
運や偶然で得られる結果ではない。戦闘時はダメージを受けた事で自尊心が傷つけられ、
頭に血が上ったが、更に手酷いダメージを受けると、驚愕から、逆に事態を冷静に見つめる事が出来るようになっていた。
「では、続けろと言うか?」
『我の・・・・・負けだ』
「何!?」
『人間と悪魔・・・これ程までの肉体的能力差の中で、ここまでしてやられてとあっては、その力を認めない訳にはいかん』
「・・・・いいのか?」
『これは悪魔・・・いや、我のけじめだ』
人間にはあまり好まれないだろう異臭を含んだ息を吐き、セイファートが言った。
「・・・・悪魔ってのはもっとずる賢い存在かと思っていたよ」
『言葉の解釈や狡猾なやりとりを行う輩は三流だ。誇りある悪魔はプライドまで捨てはせぬ』
それはキーンの戦闘力を認め、従う事を改めて宣言する発言であった。
「律儀な御方だ・・・・」
キーンは世間に伝わる悪魔の認識を改めるべきだなと思った。
『だが、一つ聞きたい』
「ん?」
『最後の・・・あの尋常ではないエネルギー弾は、間違いなく精神力による物だったはずだ。そこに至るまでの闘いでも精神力を使った闘いを続けていたにも関わらず、どうやってあれだけのエネルギーが放出できる・・・・人間にあれだけの力があるとは到底思えん』
「たしかにな。だが、アレの直前に俺は言ったろ?物は使いようだと」
『何を用いた・・・・?』
「これだ」
そう言ってキーンは痛む右手で持っていた麻袋を見せ、中身を床にばらまいた。
『灰?・・・・いや、これは魔晶石のなれの果てか』
「御名答。ここにこれがあったのを思いだして。こいつに封入されていた精神力を利用したんだ。おかげで貴重な魔晶石全部が砕けて灰になってしまったよ」
『その中にあった魔晶石全てを?』
正確な容量は不明ではあったが、キーンの持つ麻袋の大きさと、落ちた灰の量から想像すると、大国の魔法使い一団の精神力をカバーできるだけの量はあったであろう事を察し、それだけの容量のエネルギー弾を作ろうなどと発想そのものに驚くと同時に納得もした。
『やはり貴様は絶対に人間では無い!』
状況を総合した結果、彼はその答えに辿り着く。
「失礼な奴だな・・・・・変身もしない純度100%の人間つかまえて、その一言は無いだろ」
『人間では無い!でなければ、我が人生の中で培ってきた人間という存在に対する知識が瓦解する』
これは本音であった。人類を遙かに凌駕している種族の中でも、トップクラスに位置する自分が、同胞にも受けたことのない大きな手傷を負った。それを成し得た相手がただの人間であってはならないのである。
「こだわるなって、人間は今でも億単位、あんたの寿命で見れば、素早く世代交代し続けているんだ。その行程で変わり種も出てくる場合もあるんだよ」
『突然変異と呼ばれる存在だな。我が一族にも人間との融合で異質の能力を得た者がいると言う話はあるが、実際に目の当たりにするのは初めてだ』
「と、突然変異・・・・せめて進化と言ってくれないか」
あまり聞こえの良くない言い様にキーンが抗議したが、それが、現在彼が敵対している連中の主張であった事を思い出し、彼は苦笑した。
『どうあれ、我は敗北を認めたのだ。古の盟約に従い、我、セイファートは汝に仕える。そして汝の命尽きるその日まで、忠実な僕としてその意志に従おう』
セイファートは記憶の片隅にあった人間の形式を真似、その巨体の片膝をつき頭を垂れた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・いいのか?」
結果的には手心を加えてもらったのに等しいキーンが、躊躇いがちに問う。
『言ったであろう。これは我のけじめだ。我が認めし主よ、我に何を求む?』
キーンは躊躇した。高位故であろうが、人間でもここまで厳格なプライド・・・・と言うより、頑固親父的資質は少ないであろうが、セイファートの実直的な性格そのものには好感を持てた。
故に、断ろうとしても、その正確故に引き下がらないだろう事を察したキーンは、相手の心情を受け取る決意をする。
「我、キーン・ファストに仕える誓いを立てた僕に命ず。失われた我の鎧となりて我が身を護れ。そしてその力の及ぶ限り、我を補佐せよ」
『御意!』
セイファートに不満はない。彼にとって、仕える期限となるキーンの寿命など、延びたとしても一瞬程度であった。だが、そうした一瞬と思えるような時間でも、こちらで驚愕に値する人間と供に在る方が、自分の住む世界で燻るよりは、余程ましだったと思えた。
セイファートの身体は、一旦スライム状から霧状へと変化すると、鎧の大半を失ったキーンの身体にまとわりつき、一瞬で彼の新たな鎧へと変貌した。
「・・・・・・・・」
キーンは自分の身体に視線を向けた。
それは鎧というよりはプロテクターと言った方が適切とも思える姿で、胸・肩・上腕~肘・脛~膝・両腰をガードする様に、見た目は甲羅状の物質のような物が装着されていた。
材質は不思議な物で、触れると像の革のような厚みのある、それでいて若干の柔らかさを感じさせるものの、強く叩くと石の様な硬度を持つのである。その上、装着者のキーンにはその重さが殆ど感じられず、全く動きの妨げにならなかった。
「凄いな・・・・セイファート?聞こえるのか?」
『もちろんだ我が主よ。いかに姿を変えようとも、我が意識が消えることは無い』
「で、鎧化したこれにはどんな御利益があるんだ?」
『物理的打撃に対する防御はもちろんの事、並の魔法攻撃では、我の発する結界に阻まれ、主の身に届くことはない。それに、心身の回復にも関与できる。もっとも、鎧という形態になっている分、本来の姿の時に比べて、若干効率は悪いがな』
「十分だ。命懸けで得た甲斐があるってものだ」
キーンは軽く飛び跳ねて、新たな鎧の調子を見た。軽く、運動の妨げにもならず、セイファートが彼の闘い方に適した形状となってくれた事を物語っている。
それと同時にキーンの体力と精神力がみるみる回復していくのも実感され、鎧が早速その特殊能力を発揮しているのだと実感された。
やがて最も痛みのあった両手の指のダメージも回復し、彼は完全に全快した。
セイファートが彼の配下になった時点で、異空間の結界は解除されていた。
元に戻った部屋の中でキーンは、愛用の二本の大型ナイフの鞘を背中に装備し直すと、主武器として唯一残った剣を拾い上げ、激闘を繰り広げた部屋をあとにした。
新たな力を手に入れ、意気揚々としていたキーンであったが、一歩部屋を出た瞬間、その表情は強張った。
出口の周りにかなりの数のモンスターが集っていたのである。それが一斉に部屋から出てきたキーンに注目した。
「・・・・・・ぅあ、タイミング悪ぅ・・・・」
既にミラーと言い張るための鎧は粉々となり、いまは全く違う形状の鎧に身を包んでいる以上、確実に全てのモンスターに敵と認識されただろう。
「何だっ?例の侵入者か!?」
「貴様っ!どうやって侵入したかは知らんが・・・・・」
衛兵っぽい出で立ちのトロル系のモンスターが、職務的台詞を言いきる前に倒れた。引き抜かれた剣が、トロルを両断していたのである。
「どうせ闘うのだろ?だったら面倒な前置きは無しだ!」
剣に付着した血糊を振り払い、その先端をモンスター達に突きつけでキーンは怒鳴った。
「てめぇ!」
モンスター達が咆哮をあげ、同時にキーンも床を蹴って相手の真っ只中に飛び込んで行った。
たちまちキーンを中心に乱戦が始まった。彼は状況に合わせて剣を捨て、二本のナイフを両手に取って、前後左右から繰り出されるモンスター達の攻撃を巧みにかわしながら、先頭に位置する相手を斬り、時には殴り、そして蹴りながら、着実に仕留めて行った。
今やセイファートの『鎧』のおかげで体力の充実している彼は、一撃一殺でモンスターを仕留め、圧倒的数の不利をものともせず、邪魔な敵を除去しつつあった。
数分もすると、最初にいたモンスターは全滅し、騒ぎを聞きつけて所狭しと集まっていたモンスターの密度も薄くなり、数の上での優勢を信じ切っていた低脳なモンスターにも敗北の色が読みとれる事態に至っていた。
そしてそんな気負いによる隙をキーンは容赦なく突き、戦闘か逃走かを迷う集団に対し、刃に乗せた気を叩きつけ、まとめて粉砕する。
雑魚は敵となり得ない。そんな思いが彼に油断を生じさせたのか、キーンの繰り出した左右同時攻撃(二刀一閃)をかいくぐって一匹のモンスターが間合いを詰め、刃状になっている右腕を突き出し、彼の眉間を狙って来た。
「!?」
技の間隙を突かれたキーンであったが、大きく体を仰け反らす事で、その一撃をやり過ごす。
「こいつっ!」
それが雑魚とは異なる存在であることを悟った瞬間、突き出されていた刃が降ろされた。弧を描くように仰け反っているキーンを、そのまま縦に切ろうというのである。
「くっ!」
またも間一髪、キーンは身体を右に捻って寸前のところで刃をやり過ごすと同時に、捻った体の勢いに合わせて左足を振り、相手に蹴りを繰り出した。
しかしそれは、相手が僅かに身体を引くことで避けられ、またも攻撃の間隙を縫う突きが繰り出される。しかしそれは、キーンの予想範囲内での事であり、彼は左足が空振りしたと同時に今度は右足を繰り出しており、時間差で放たれた彼の右踵が、突き出されようとしていた刃の腹を捉え、その動きを牽制した。
蹴りの勢いの分キーンの方が勝り、両腕を刃状にしたモンスターの姿勢が崩れた。
「もう一発くらえっ!」
着地したキーンが間髪入れず床を蹴り、今度は下から突き上げるような蹴りを繰り出し、その態勢が不利と悟ったモンスターは一旦間合いを取るように後ろへとバックステップした。
キーンも、蹴り上げた勢いのままバック転を行い、相手との間合いを取った。そこで両者はまともに対峙する。
「雑魚の中に紛れてたか・・・自称進化した存在・・・が・・・・」
ナイフを十字に構え、キーンが呟いた。
「今の攻撃が掠りもしないとは思わなかったぞ。あの二人を退けたのは偶然では無いという事だな」
キーンに対する様に刃となった両腕を構えたモンスターが言った。
「誰の事を言っているかは知らんが・・・・・いつぞやのカマキリの同類か」
腕が刃状という身体的特徴が合致する相手を思い起こしてキーンは呟くと、両手に持ったナイフの柄の底同士をカチリと接触させた。
「カマキリ・・・・?あの程度と同類視されたくはないな。更に高度な能力を得た存在だ」
両手が刃のモンスターが床を蹴った。
体格的にはカマキリ型とは正反対のシルエットであったが、それより遙かに俊敏なスピード迫る相手に、キーンは一度接触させていたナイフの柄を外す。すると双方の柄の間に細い糸が垂れ、二本のナイフを繋げていた。
「高度だろうが何だろうが、俺から見れば倒すべきモンスターでしかない!」
キーンは右手のナイフを手放し、左手のナイフを振るった。それによって、糸で繋がれたナイフが弧を描いて、相手の予想しなかった角度から飛来する。
「!?」
モンスターは戸惑った。こうしたヌンチャクに似た使用方法は、剣とは全く異なる戦闘スタイルである上にリーチにも差が生じ、完璧に虚を突かれた形となった。
モンスターは辛うじて身を傾けてそれをやり過ごす事に成功したが、そこへキーンの右拳が追い打ちをかけた。もともとこちらの攻撃が本命であり、不意打ちに慌てたモンスターは、初手をかわすことに囚われすぎて、この一撃に対応できず、まともに吹っ飛ばされ壁に叩きつけられた。
「止めっ!」
今の一撃は、並のモンスターであれば痛打になっていたであろうが、あの手の特殊型に対しては決定打に欠けていた。手応えでそう判断したキーンは、すぐさま突き出したままの右拳に気を込め、それを放った。
「ひっ!」
死をもたらす光弾の接近を目の当たりにして、モンスターは小さな悲鳴を上げた。双方が不可避と認める一撃であったが、それは本来の目標に命中する直前、横合いから出てきた大きな影に遮られた。それは、新手のモンスターであった。パワー重視と一目瞭然のシルエットに昆虫を連想させる甲殻を持ったモンスターが、盾となってキーンの一撃をその身で受け止め、無傷な状態として立っていた。
「えらく頑丈だな」
不意の乱入者の襲来そのものより、その頑強さに興味を示すキーン。
「貴様の一撃が脆弱なんだ。その程度では、俺の装甲に傷一つつけられんぞ」
「別に、あんたを倒そうと思って放った訳じゃないさ」
以前にも同様の自慢をした奴がいたなと思いながら、先程の相手を仕留め損なった事に舌打ちするキーン。
「なら俺と砲撃戦勝負と行こうか?」
キーンの負け惜しみを軽く嘲笑し乱入したモンスターが、軽く身を屈めると、甲殻装甲の各所が開き、その中から無数の球体が姿を現した。
「!?」
毎度変身系の特殊モンスターには驚かされる事ばかりであるが、キーンにはその球体が何か見当がついていた。
(例の熱戦!)
ゼルと名乗ったモンスターや、塔攻略初期に闘ったモンスター特有の嫌な雰囲気で、その事態を察したキーンは、ともかくも間合いを取った。
と、その刹那、各所の球体から一斉に熱線が放出された。それこそ熱線の雨とも言うべき物で、各所から時間差をつけての連射と想定していたキーンは面食らった。
とっさに身をかわすものの熱線の一発が左腕をかすめ、激痛と共にその部分を焼き、炭化させた。
「うぐあっ!!」
経験した事のない激痛にキーンは思わず呻いてひざまずく。すぐさま鎧と化したセイファートがその特殊能力を発揮し、損失した主の腕の一部の再生に取りかかったが、彼が寸前に身を引いて間合いを開けていなければ、致命傷を受けていた可能性もあった。
だがそれでも彼は運の良い方であった。何の予告もなしに、広範囲に熱戦が放たれたのである。生き残って事態を傍観していた雑魚モンスターも当然それに巻き込まれ、かなりの数が炭となって命を失っていた。
僅かに残った雑魚達は慌てて逃げだし、その場には三体の見慣れぬモンスターとキーンだけが残った。
「なんてデタラメなヤツだ、一度にあれだけの熱線を放つなんて・・・・・」
「少しは驚いてくれたか?こっちも人間がゼルとカールを退けたと聞いて驚かされたんだ、その位はなくてはな・・・・・」
熱線を放ったモンスターの脇に立つ、三体の中では一番巨躯なモンスターが、勝ち誇った声を上げた。
「ゼル?カール?」
聞き覚えのある名称を耳にして、僅かにキーンが反応した。
「お前等、何者だ?あの人とどこまで関係がある?」
あの人とはカールの事を示している。その名が絡む時、キーンにとっては重要な意味が出てくるのである。
「奴はどこまで話した?我等は最強を自負する傭兵団の頭領を勤める者だ」
両腕が刃のモンスターが言った言葉に、キーンの表情が如実に変わった。
「この塔の主は我等の依頼主でな。それに応じて派遣したゼルを退け、同朋のカールを倒した貴様に対し、仕事として死をもたらす為にやって来た」
びしりと刃の先端をキーンに突きつけ、モンスターは言った。
「そうかい・・・・最強の傭兵団の頭領か・・・・で、名前はあるのか?」
「我が名はゼニス」
熱戦を放ったモンスターが言った。
「ザブレ」
と、こちらは両腕が刃のモンスター。
「ダングス」
最後に最も巨躯の、サイ人間という表現が相応しく思えるモンスターが言い放った。
「そうか・・・・・会えて・・・・会えて嬉しいよ!」
不敵な笑みを浮かべて立ち上がるキーンに、ゼニス達は妙な威圧感を感じた。その感覚は主の治療を施すセイファートにも感じられ、その手の感情のより強い感知力がある彼は、それが強烈な『憎悪』である事が理解できた。
「俺は・・・・あんた達を探していたんだ」
「何だと!?」
「お前等の売名行為のために滅ぼされた故郷の恨み、今、此処で晴らさせてもらう!」
「何?」
言うが早いか、キーンが再生したばかりの左腕を突き出し、気孔弾を連射した。その全てがゼニスを目指し直進する。
ゼニスは自分の装甲の強度に自信を持っており、その攻撃を真っ向から受けると、無傷の姿を誇示しながら反撃とばかりに熱線を繰り出した。
キーンもゼニスの攻撃パターンを知り、最小限の回避で熱線をかわし、気孔弾を連射し続ける。その間、ダングスとザブレは左右に展開し、砲撃の応酬の死角へと回り込んで背後からキーンに迫った。
「死ねぇ!」
俊敏力で勝るザブレがいち早く接近・跳躍し、両腕の刃を振りかざした。
キーンは三人の位置を気で素早く把握し、ゼニスが味方に命中させてはまずいと、熱線攻撃を中止した瞬間、ザブレに向かって跳躍して彼との間合いを詰め、両腕の刃が繰り出されるより早く、相手の両腕の刃となっていない部分を殴り上げ、その攻撃を制し、動きの止まった相手に蹴りを入れた。
ザンブレードを蹴り飛ばし、自らもその反動で移動すると、今度はほぼ反対方向にいたダングスへ向かって駆け出すキーン。
「おのれっ!」
ダングスは己の動きがメンバー中最低と知っていたため、無駄な回避を行わず、相手が来るのを待ち、間合いに入った瞬間、最強を自負するパワーを込めた右拳を突き出した。
キーンにはオーガーすらも軽く一撃で撲殺できそうな一撃を正面から受け止めるつもりは毛頭無く、身を屈めてやり過ごし、カウンター張りに自分の拳を相手の腹に叩き込んだ。
「!?」
致命傷とはならずとも、多少の効果はあるだろうと想定されての一撃であったが、その目論見は甘かった。ダングスは、その巨躯に見合った、分厚く柔軟性のある表皮に覆われており、ゼニスとは違った形で物理的衝撃に対する高い防御能力があったのである。
キーンがその事に気づいた時には、ダングスが懐に入った自分に左腕を掬い上げるように繰り出していた。
「くそっ!」
キーンは右腕をかざしてハンマーのようなダングスの一撃を受け止めにかかった。命中の直前、腕のプロテクター部分が増殖して盾状になり、その一撃を受けた。これもセイファートの機転によるものである。
彼の変形した盾は確かに痛烈な衝撃を緩和した。だが、その全てを相殺しきれたわけでもなく、抑えきれなかった反動が装着者のキーンに襲いかかり、彼の身体は数歩分後ろに後退した。
「しまった!」
キーンは舌打ちした。身体に対するダメージは微々たる物であった。バランスを崩し数歩後退しても、ダングスの俊敏性ならば即応できた。だが今は一対一で闘っているのではない。ザブレの突出もあり得たが、それよりも先に、現状は、少しはなれた間合いで待機していたゼニスの格好の標的になっていたのである。
チャンス!とばかりにゼニスの球体が輝いた時、キーンは床を蹴って現状で進みやすい方向にいたザブレに向かって再度駆け出して行った。
その半瞬後、彼のいた空間を熱線が薙ぎ、移動する目標を追った。
キーンは背後に迫る熱線を気にせず、そのままザブレに対して二本のナイフを構える。そしてザブレも、今度は不覚を取らないとばかりに、両腕の刃を小さく掲げ、小振りで攻める体勢をとっていた。
「今度こそ切り裂いてやる!」
ザブレも駆け出し、その間合いを急速に詰めた。
キーンの体が相手の間合いに入る寸前、彼は気孔弾を自分の足元に放って爆裂させた。その衝撃で床に穴が空くと、彼は迷わずその中に飛び込んでいく。
「「何!?」」
ザブレの刃が目標を失って空を切り、ゼニスの熱線も味方に命中する恐れを感じて攻撃を止めた。
「逃げた!?」
ほとんど反射的にザブレが床の穴に近づき覗き込む。
「ま、待てザンブレード!迂闊に近づくな!」
ゼニスが慌ててそれを制止しようとしたが、既に遅かった。
ザブレのすぐ背後に、直径1メートル弱程の気孔弾が床を突き抜け舞い上がり、そこに出来た穴から、気孔弾に続くようにしてキーンが飛び出したのである。
「!?」
ザブレが異変を感じて振り向いた瞬間、キーンのナイフが振り上げられ、彼の両腕が切断された。
「があああああああ!」
ザブレが苦痛と驚きを含めた悲鳴を上げ、その間にキーンは床を蹴って更にジャンプして天井近くまで上がったかと思うと、くるりと身体を反転させて天井を蹴り、落下速度を増してザブレに向かった。
「「ザブレェ!」」
ダングスが駆け寄り、ゼニスが熱線を放とうとするよりも早くキーンは攻撃の間合いに入っていた。
「二刀一閃!」
武器を失った相手に止めの一撃が加えられ、ザブレは三枚におろされたように切断されて果てた。そしてキーンはそのままの勢いのまま、自らが開けた穴に飛び込み、再び敵の前から姿を消した。
「くそっ!ダングス、俺の背後についてカバーしろ」
「お、おうっ!」
二人は背中合わせの体勢をとってキーンの奇襲に備えた。互いの死角を補うという形としては理想的であったが、襲撃される事が分かっていながらそのタイミングが分からないという状態での待機は、待つ側に急速な精神的疲労を強いる事となる。
待つこと数刻、ゼニスに焦燥感が募り出した頃、彼は自分の知覚がある種のエネルギーの収束を感じ取った。人によって感じ方は異なるが、それは間違いなく闘気士の気孔の集中によるものであった。カールという仲間がいなければ正体の分からなかった波動を感じ、ゼニスは敵の位置を悟った。
「そこかっ!」
ゼニスが左腕を突き出し、そこに設置されている全ての熱戦発射器官から熱線を一点放出させた。熱線は床石を貫き、見えない位置にいる相手に向かって突き進む。
さすがに命中の有無は分からなかったが、リアクションは生じた。ゼニスが熱線を放った直後、彼が見当をつけていた位置の真上に当たるだろう床が崩れ、その中からキーンが飛び出したのである。
「モグラめ、出てきたか!!」
待ってましたと言わんばかりにゼニスが残った発射器官から一斉に熱線を放つ。ドラゴンすらも灰に出来る威力を秘めた熱線がキーンを直撃したと思った瞬間、熱線は見えない壁に阻まれたように目標からそれて本来の目標物ではなく、床や天井を焼いた。
「何だと・・・」
ゼニスは絶句した。いまの現象が気孔障壁の防御と推測した彼ではあったが、あれほど完璧に自分の攻撃が弾かれるとは思っても見なかった。だが実際には、今の現象はキーンではなく鎧のセイファートの能力によるものだった。
魔法が関与した攻撃であれば、並大抵の攻撃は霧散させる事の出来る彼であったが、事、物理攻撃にはそう言った力場は働かない。だが、どの種の攻撃が来るかが分かっていれば対応する事が出来たのである。
戸惑いを見せるゼニスに、キーンは右腕を突きつけた。
「望み通り砲撃戦だ!」
そして気孔波が放たれた。
「何を!」
迫る一発の気孔波に、ゼニスは直立して受けにかかった。自身の頑強さに対する信頼と、相手の攻撃が一発である事が彼に慢心を生んだ。
彼はあまりにも闘気士の事を軽視していた。それは変身型モンスターの中にあっても極めて優れた能力を持っていたために、その力を過信しすぎていたのかもしれない。
気孔弾と気孔波の違いが理解出来ないままそれを受けたゼニスは、その時になって初めて気孔波の威力を思い知り、自慢の甲殻装甲を破壊されて吹っ飛んだ。
「ゼニス!!」
キーンが現れた事によって戦闘体勢をとってゼニスの背から離れていたダングスは、その事によって気孔波の巻き添えを食らうという災難から逃れる事が出来た。彼は全身の甲殻を損傷させて床に倒れた仲間を見て、憤怒の形相となった。
「貴様っ!!」
ダングスはキーンとの間合いを詰め、最も秀でている腕力を生かした右拳を繰り出した。一方でキーンも、今度は避けるどころか、逆に合わせるように右腕を繰り出していた。
「正気か!」
そう思ったダングスであったが、彼は互いの拳が衝突する寸前、キーンの腕のプロテクターが拳を包み淡く光ったのを目撃した。
「!?」
鈍い音と共に両者の拳が衝突し、威力で劣った側の拳が砕けた。
「あっ・・・ああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!?」
ダングスが悲鳴を上げて砕けた右腕を押さえた。その眼差しは信じられないものを今、眼前にしているという色が濃く出ていた。
キーンは、鎧のサポートと気孔による強化で、相手の拳を上回る破壊力を瞬間的に引き出したのである。
彼はダングスが激痛にのたうつ間に構えを拳から手刀へと変え、そこに再び気を込めた。その容量は手を覆うにはあまりにも多く、溢れた気が術者の意思により指先から放出され光の剣のような形状を形成する。
「はっ!」
気合と共に手刀が振られ、気の刃に触れたダングスの身体はバターのように切り裂かれ、二つになって倒れた。
「馬鹿な・・・・・あいつは・・・・カールとほぼ互角の実力だったはずだ・・・・それが何故・・・・」
横たわったままその光景を見ていたゼニスが、自分達の完全敗北を目の当たりにして呻き声を上げた。
「ほ・・・・まだ生きていたのか」
その声を聞いたキーンは、既に戦闘能力を失ったゼニスの元へと歩み寄り、横たわる彼を見下ろした。
「貴様・・・一体・・・・」
「闘気士ってのは、闘う都度、強くなれるんだよ。元がどんな人間かは知らないが、変身して人間の持ち得ない能力を持った程度で人類を超えたなんて思っている連中に・・・・・何よりあんた達に負けるつもりはないさ」
勿論それだけではなく、彼等と遭遇する前に得た新たな鎧=セイファートの能力にも助けられての事ではあった。
でなければ今頃の彼は片腕で戦う羽目となっていたはずなのである。
「呆気ないが、とりあえず、積年の恨みをここで清算させてもらおう」
キーンは倒れているゼニスに掌を突きつけた。
「何?何の話をしている・・・?」
「カールに手引きされて滅ばされた傭兵の村の話さ・・・・・そこの生き残りより、恨みを込めて!」
「!!」
ゼニスが相手の正体を理解した直後、キーンの放った気孔弾が彼に止めを刺した。甲殻という鎧を失ったゼニスの身体は容易く四散してバラバラとなり、この瞬間、キーンの生涯をかけていた目標が達成された。
だが彼はそんな感傷に長く浸る事もなかった。彼にとっての復讐は、事の大本とも言えるカールを倒した事で決着がついていたに等しかった。
キーンはそれぞれの亡骸を一瞥すると、闘う事でしか価値を見出せない存在の末路はこんなものだろうなと思い、自分の既にその一人であることを意識しつつ歩を進めた。
もはやこのフロアで彼を止めようとする者は存在しなかった。ゼニス達の敗北を目撃したモンスター達の話がすぐにフロア全体に広がったのが原因で、彼等の力が知れ渡っていただけに、見かけが脆弱な人間だったとしても迂闊には手を出せない状況になっていたのである。
彼等に出来る事は、せいぜい回りを取り囲む事であり、それもキーンの動きに合わせて囲いを移動させるという程度の事であった。
そんな彼がこのフロアに囚われている女達を一斉解放するのは容易な事であった。
いきなりキーンが自分に向けて突っ込んだ。
男という存在は、興奮している時は前後が見えなくなり、それが冷めると急速に冷静さを取り戻す。
もともとこの国の男性に対する風当たりの悪さから、やや欲求不満であった彼は、このフロアの実態を知るなり暴走してしまっていた。表面上は平静さを保ってはいたが、全区画の催しを見学して回った辺りが、彼の『男』の本質が素直に発現したと言えた。
ともあれ、やや遅いと言った感もあったものの、キーンは本来の落ち着きを取り戻し、主目的であった上のフロアへ向かう道の捜索に入った。
(門番のオーガーは専用通路を使えば・・・とか言ってたよな)
前の記憶を呼び起こしながら歩くキーンは、ややしてからピタリとその足を止めた。壁という行き止まりに突き当たったのである。
「ミラー様、この様な所で何を?」
不意に背後から声がかけられた。真正面が壁である以上、常識的には背後からというのは当然ではあった。
キーンが不自然さを見せないように振り向くと、そこには年老いた・・・・という表現が似合うガーゴイルが佇んでいた。
通常、ガーゴイルとは翼を持つ悪魔をモチーフに作られた石像が魔力によって動き出した物で、年老いたという形容詞が使用される事はまず無い。
だが目の前のそれには、確実に人生の重みを感じさせるような雰囲気を持っていたのである。
「ついつい夢中になってしまった自分に嫌悪していたところだ」
これはある意味事実であった。こんな時、ルシアでも同行していてくれたら、ここまで脱線はしなかったであろうと、単独行動の欠点を嘆いた。
「それよりお前は?」
「おお、そうでした。以前、頼まれていました発掘品の整理が出来ましたのでその御報告に伺おうとしたところで、ミラー様を見かけましたので・・・・」
(発掘品?)
自己紹介が無かった事から、このガーゴイルはミラーとの面識がある事がうかがえたが、それよりもキーンの興味を引いたのは発掘品という言葉であった。
この塔の経緯は知りようもなかったが、少なくとも遺跡の部類に入る事はキーンにも予測できた。しかもそれが、かなり高レベルな物だろう事も・・・・
おそらくはそこから発掘されたのであろう品々があると聞かされては、キーンの冒険者魂に火がつかない訳が無い。
「御覧になられますか?」
「もちろん!」
キーンは即答していた。
キーンはガーゴイルの案内によって、同フロアの別区画にある、とある倉庫へとやって来た。
「どうぞ・・・・」
ガーゴイルに促され入った倉庫はかなり広く、壁に立てかけられた棚に、大小様々の品が幾つも並べられていた。
「思っていたより凄いな・・・・」
「お申し付け通り、使用不可の物は全て廃棄しましたが、中には用途すら不明な物体もありましたので、それは残してありますが・・・・・」
「思っていたより凄い」
キーンは同じ言葉を口にする。だが、そこに込められた想いには雲泥の差が生じていた。
無理もない、無数に並ぶ各種アイテム群の中には、キーンが文献でしか見たことのない物が数多くあったのである。
「こいつはマジカルブースターみたいだな」
手近な棚に立てかけてあった、小さな宝玉のついた小降りのロッドを見て、キーンは呟く。魔法使い用のアイテム故に、彼には利用価値はないものの、魔法使いが所持すれば、特に攻撃呪文の威力が増大する類のアイテムであった。
「こ、これは・・・・伝説のハートムーンロッドか!?」
妙に装飾の多い、ハート形のウエイトが先端に着いたロッドを眺め、キーンは驚いた声をあげる。真贋は定かではないが、これはどこかの国の伝説の王女が使用したアイテムとして知られ、魔を浄化する能力を秘めていると言われている。
「ん?これは?」
無造作に置いてあった、古ぼけた麻袋を開けてみると、その中には、まだ研磨されていない形も大きさも揃っていない青い宝石の原石のような物が幾つも入っていた。
「ああ、これは・・・」
ガーゴイルが説明しようとした矢先、キーンがそれを手で制止した。
「いや、判る、魔晶石だな」
袋を棚に戻してキーンが言うと、ガーゴイルもそうだと頷く。
「左様で・・・」
魔晶石、単体では何の価値もなく宝石としては見向きもされない石ではあるが、その正体は精神力を結晶化したという不可思議な石で、魔法を使う者であれば例外なく重宝される、いわば精神力の予備タンクであった。
「こいつはグレネードと呼ばれていたやつだな」
ピンの付いた縦長の錆びた缶を手に取りキーンが呟く。
こんな調子で順に棚を眺め歩いていた時、彼の目に一つの物体が目に留まった。そしてその正体を思い出した時、彼は思わず口笛を吹いていた。
「こいつは拾い物だ・・・・・」
その物体の近辺には、大粒の宝石・水晶玉・宝玉が陳列されていたが、キーンは一つでも軽く屋敷が建てられるだろう、それらの宝石類には目もくれず、無機質な金属製の球体を手に取った。
大きさは手に納まる程度で、材質は何の価値もない古びた金属質。表層に古代文字の刻印がなされているだけの物体であったが、それを持っているだけでキーンの手は震え、興奮が止まらなかった。
「おい、これを貰いたいが、いいか?」
喜々として言うキーンの手の物を見て、ガーゴイルは怪訝そうな表情をした。どの様な凄いアイテムも、それの真価を知らない者から見ればただのがらくたとしか見えず、ガーゴイルもそうした価値を知り得ない側の存在だったのである。
「その様な物を?」
「やっぱり、知らなかったか」
この場所に、無造作に置いてある事で、そうだとは思っていたキーンであったが、実際にそうした発言を聞かされると、知らないとは恐ろしい事だとしみじみ思った。
「こいつは召還球だ」
「しょ、召還球?」
ガーゴイルにはその名称すら初耳だった。
「召還術は知っているだろう。時間・場所・星の位置・その他条件・・・・・これらが一つになり、魔法陣という仮そめの門で異界の生物を召還する術だ」
「は、はい・・・・簡単な物では精霊魔法から始まり、条件さえ整えば悪魔をも呼び出すことも出来る・・・・ですがそれは・・・」
「ああ、悪魔クラスになると、その技術は高度で、完璧な条件が揃うのは数十年に一度しかないと言われている。普通、それを補うために、魔術や儀式や生贄が用いられる・・・いや、必要になると言った方がいいかな・・・・」
「そのための玉ですか?」
「そうだ・・・・だがな、こいつは少々出来が違う。こいつは古代文明の技術で作られたものでな、条件があるが、場所や時間なんか問題なく、好きな場所で召還が行えるアイテムなんだ。もっとも、一回限りの使い捨てだが・・・・・」
「既に所定の条件を満たした魔方陣の小型版・・・・・と考えてよろしいので?」
「俺も詳しくは知らないから上手く説明は出来ないが、そういった物だな。これがどれくらいのレベルの物を呼び出せるかは分からないが、本来は低級タイプの物がたくさんあって、誰にでも簡単に精霊魔法が使える・・・・って、感じのアイテムだったらしい・・・・」
キーンは金属球の表面に刻まれている刻印を眺め、言葉を続けた。この文字さえ読めれば、もう少しその質が分かったであろうが残念ながら彼にその様な知識は無かった。
「こいつはそんな低級な物じゃないとは思うんだが・・・・」
「はぁ、ですが何を召還し、何をなさるのですか?」
通常、飛び出したからにはそれに要求を求めるのが通例である。
「召還した物にもよるが、とりあえずは戦力にしたいな」
「戦力・・・・・ですか?」
ガーゴイルには、そうまでして力を求める理由が分からなかった。
「ああ・・・・で、そんな訳で、使ってみていいか?」
「構いませんが・・・・」
困惑した様子でガーゴイルは答える。説明を聞いても、あの掌に納まる程度の物体にそこまでの能力が存在しているとは到底思えなかったのである。
「それじゃ・・・・」
キーンは金属球を頭上に掲げ、左右(あるいは前後)に僅かに出ていた突起を同時に押し込む。すると、金属球が上下にスライドし、そこから細身のワイヤーの様な物が飛び出し、直径五メートル程の円を形成する。
キーンは円が完璧に構成された事を確認すると、それを前方の開けた空間に投げつける。放り投げられた金属球は吸着する様に床に落ちると輝きを放ちだし、更に細かいワイヤーを出して床に魔法陣を形成しだす。
金属球の放つ光は徐々にワイヤーにも広がり、ワイヤーの一本一本に刻まれた微細な刻印が浮かび上がってゆき、更には描かれた円内の床にまで浸透していくように広がっていく。その光が魔法陣全体に行き渡った時、全ての準備が完了する。
「いよいよだな」
キーンは魔法陣の前まで近づき、息を呑んだ。
「異界に住む強き存在よ・・・・・」
キーンが召還の言葉を口にし始めた時だった。全く同じタイミングで何者かの声が部屋に響き渡った。
『異界に住む高貴なる存在よ。古の盟約、我が呼びかけに従い、仮そめの門より姿を現し、我が声に耳をかたむけよ・・・・』
「!?」
それは間違いなく召還に用いる言葉であった。どこからかは分からない。だが、キーン以外の何物かが現状を利用し、何かを呼び込んだのである。
その言葉に反応し、魔法陣の中心であった金属球が更に光を放ち僅かに放電したかと思うと、突如一変して光を失った。光量が下がったのではない。魔法陣の描く円の内側全てが『闇』となったのである。
「来た!」
緊張感に身を包み、冷や汗を流しながらキーンは叫んだ。もともと呼び込むつもりではあったが、自主的であるのと他人に呼んでもらったのでは、心構えに関して若干の違いが生じる。
魔方陣に限定されていた『闇』が、突如部屋全体に溢れた。それが煙なのか黒い光なのか全く判別のつかないまま、広がりを見せ室内全体へと広がり周囲を闇の一色で塗りつぶす。
壁面に設置されていた棚の向こうにも闇の空間が広がり、果てしない虚無の世界へと変貌させる。
中から現れようとする存在によって、キーン達のいた部屋という一定範囲の空間が、異次元の結界に包まれたのである。
その偽りの世界の中央で、召還球の形成した魔法陣が再び光り出して浮かび上がり、その中心で『闇』が集約し、一つの形を形成する。
召還球を異界の『門』として、向こうの世界から圧倒的な力を持つ何かが姿を現そうとしている。その圧倒的気配にキーンは気圧されていた。
そして突如、魔法陣で集約していた闇が四散した。
「・・・・・!」
キーンが息を呑む。そこには異世界の秩序によって形成された全く異質の存在が鎮座していたのである。おおよそこの世界のどんな生き物とも酷似しておらず、モンスターを合成し一匹のモンスターを作る者ですら発想し得ない存在がそこにはあった。
キーンは本能的恐怖を感じた。それは太古の昔、人類が遭遇した『彼等』に対する恐怖が遺伝子に記憶されていたのかもしれない。
『我を呼びだしたのは貴様か?』
心と空気を振るわす声が一帯に響いた。声帯とテレパシーの両方から放たれた問いかけだった。
「厳密に言うと違うが、そうだ」
キーンは辛うじて、いつもの調子で答える。
『何故、我を呼びだした』
「何でだと思う?」
『・・!!!』
それはいきなりであった。突如、召還を受けた異生物が巨大な口を開き、衝撃波を吐き出したのである。
キーンは槍を床に突き立てて身体を支え、辛うじてそれを堪えた。だがその一方では衝撃に耐えきれなかったガーゴイルが悲鳴すら上げる間もなく、粉々に砕けて散っていた。
「冗談は通じないか・・・」
あまり度の過ぎた軽口は受け入れてもらえない。それを認識し、呟くキーン。
『改めて問う、何故、我を呼びだした?』
「・・・・古の盟約に従って取引を行うため・・・・」
キーンは答える。その途端、異性物の目らしき物が大きく見開かれ、好奇の眼差しを彼に向けた。
『ふ・・・・・・ふぁっっははははははははははははははは』
笑いという強大な声と思念がまとまってキーンの耳と脳裏を刺激した。
「何が可笑しい?」
『これが笑わずにはいられるか。数千年ぶりに我を召還するほどの門ができたので来てみれば、相手は身の程も知らん小僧とは・・・・・貴様、古の盟約の内容を知って、言っておるのか?今なら特別に考え直すチャンスを与えないではないぞ』
「体力・知力・戦闘力・・・・・何でもいいから召還した相手と勝負を行い、その能力を認めてもらうか勝利して、願いをかなえてもらう・・・・ってのが、こちらの世界とあんたの世界の、時の覇王が定めた掟だろ」
それはこの世界の聖書にも匹敵する古い文献に記載された、太古からの伝えられていた習わしであった。
『それを知って尚、我に盟約の遂行を求めるか?』
「悪いが、小僧である俺が、あんたを知っているはずもないと思うが」
『なら聞くがよい。我が名は『セイファート』異界の闘神と呼ばれ、かつて貴様の世界でも猛威を振るった四大魔王の一人だ!』
神に仕える神父あたりであれば、その黙示録戦争級の悪魔族の登場に、腰を抜かすかしたであろうが、彼にとってのそれはあくまで伝説上の口伝の産物でしかない。そのあまりに古く高名すぎるが故に、実物が登場したと言っても実感が得られなかったのである。
神が人の姿になって、光臨しその正体を公言したところで理解者が皆無であるのと同様、伝説の悪魔もある意味美化されすぎて、目の前に存在するはずがないという先入観があったのだ。
「・・・・・そう言えばそんな伝説もあったっけ?四大魔王か・・・・量産品の召還球にしては、凄い物を呼び出したな」
『それを知って尚、我に挑むか?』
「挑まないと呼び出した意味がない」
冷静な第三者が見れば、身の程知らず以外の評価を出せなかったであろう。だが当事者たるキーンは、あまりに圧倒的な気配を間近で受けて、そうした恐怖感が麻痺した傾向にあった。
『人間よ、我は寛大だ。故に忠告しよう。退く事も無意味ではない。我等に比べれば瞬き程度の寿命しか持たぬ身を自ら滅ぼす事もあるまいに・・・・』
召還により呼び出した魔族との『古の盟約』による取引とは、一言で言えば博打である。召還者である人間が勝てば、というより悪魔がその人間を認めれば、人智を越える魔族の知識・魔力を始めとする能力を我が物として従える事、あるいは協力を得る事が出来る。その一方で、敗北は無条件に死を意味するものとなっている。
「あんたの好意を蹴って悪いが、何の思惑か、折角、有数の実力者の力を得られるチャンスが来たんだ、やらせてもらう。俺の一番得意な実戦で」
真偽の程を別として、文献に記載された過去の召還において、人間が勝利したケースも少なくはなく、完璧な勝利でなくとも良いというハンデが人間側には存在していたため、キーンはあえて勝負の道を選んだ。
これはセイファートの存在がキーンの理性を麻痺させ、秘められた獣性・破壊衝動を刺激したという一面も否定できない。
『愚かなり・・・・』
セイファートと名乗った魔族の『声』は震えていた。無意味で結果の見えている闘いを挑むキーンに対し、そして像が蟻に挑まれるような状況に、自分が拒否権を持てない現状に対し怒りを堪えているかの様であった。
「それが人間って生き物だよ!」
キーンが床を蹴って跳躍し、宙転を行う勢いを利用して槍を振り下ろした。
『!?』
蚊の一撃を受けるような物だと、腕を上げ槍の一撃を受けたセイファートが僅かに驚愕した。槍の刃を受け止めた腕に刃が食い込み皮膚を裂き、僅かながら体液が流れたからである。
彼の皮膚の硬度は尋常ではない。これまでの歴史においても、人間の一個人の攻撃によって身体を傷つけられたという事はなかった。ある意味それが自慢でもあった彼は、気乗りもしていなかった相手に、予想すらしてなかった手傷を負わされたのである。
油断もあったかも知れなかったが、格下と決めつけていた人間に傷つけられた彼は、たちまち屈辱と怒りで先刻の慈悲の心を押し流した。
「よし、斬れる!」
一方でキーンは確信めいた声を上げていた。世間一般には魔族に対しては、神の加護を受けた武具や、魔力の付与が行われたアイテムでなければ歯が立たないと言われている。そうした有効アイテムを、メルフィメールの結界破壊の際に失っていた彼は、まず『気』を込めた武具の全力攻撃を試してみたのである。結果はかすり傷に終わったものの、全く歯が立たない訳でもない。この事実を知っただけでも収穫と言える。少なくても勝率0%ではないというだけではあるが・・・
『貴様・・・・・一体何者だ!』
セイファートが巨大な腕を振って強大な魔力をダイレクトに放出した。内容的には闘気士の闘い方に似ていた。
「興味本位で『門』を開く好奇心の大きい、ただの人間だよ!」
キーンは高密度のそれによって歪んだ空間を見定め、放出された魔力の軌跡を読みとると、身を翻してそれをかわし、再び槍を叩きつける。
だが今度は、セイファートの『手』が包み込むようにして槍を受け止め、その衝撃を吸収した。
『ただの人間ならば今の一撃で終わっておる!』
槍の切っ先を包み込んでいた『手』が一気に縮んだ。
「!」
柄を握るキーンの手に嫌な感覚が伝わった。槍の切っ先が握り潰されたのだ。
キーンは柄を離し、すぐに間合いを取ると剣を引き抜き構えた。
『スピード・パワー・・・・どれも我の知りうる人間の上限を超えている。今の時代の人間は全てこうなのか?』
残った槍の柄をキーンに投げつけ、セイファートは問う。
「いいや、多分平均的にはあまり進化はしていないさ。中には人為的に進化した連中や、逆に退化した連中もいるが、大差じゃない」
飛来した柄を軽く避けて答えるキーン。
『ならば貴様は何だ?』
「突然変異・・・・というより、最終段階にまで成長できた、ある部族って所かな?」
キーンは再び打って出た。
セイファートも両方の『手』を刃状に変化させ、迎え撃つ。連続して繰り出される突きをキーンは器用に避けながら、チャンスを見てはセイファートの身体に斬りつけるが、彼の一撃を警戒し硬化させた皮膚に痛烈なダメージを与えるには至らなかった。
迂闊に近寄れば、敵味方関係なく切り刻まれるだろう両者の凄まじい応酬が続く中、キーンは徐々に押されていった。剣技のスピードに関しては若干彼が上回っていただろう。にもかかわらず彼が押され始めたのは、相手が二刀流から三刀流そして四刀流と腕と刃の数を増加させた為である。
『ここまで我とやり合うとは大したものだ。過去、我に挑んだ『勇者』共より、遙かに手応えがあるぞ』
「俺の実力は歴代屈指は確定かい!」
キーンは吠えて防御に専念し始めた。
だが彼にとって不利になっていくのが分かる現状を維持するのは得策ではない。過去多対一の闘いが多かった彼は、不利な状況は早めに変化させるように努める傾向があり、その性格がこの場にも現れたのだった。
そしてまたも彼は、セイファートを驚かせる行為に出た。
突き出された彼の刃の一つを左手で掴み取って受け止め、残る三本の刃を右手で持った剣で強引にまとめて振り払うと、すぐに剣を手放し、左手で捕らえている刃に気を込めた拳を叩きつけた。
その攻撃の効果は如実に表れ、攻撃を受けた刃は土のように崩れ去り、床に散って消滅した。
『貴様!我の身体を!!』
「どうせ再生可能なんだろ!その位の傷で怒るな!!」
呻くセイファートの顎と思われる部分をキーンが蹴り上げた。とにかく虚を突き、相手にペースを握らせない。伝説上の魔族が相手となれば、そうでもしなければ生き残る見込みさえ無い。そう判断しての攻撃であった。さもなければ、魔族に直接触れるなどといった常人が躊躇するだろう行為など行うはずもない。
『小賢しいぃぃ!』
セイファートの怒声と共に、彼の全身から魔力が放出された、否、溢れ出たという方が正しいかも知れない。爆発的に広がったそれは、キーンに逃げる隙も与えず彼を捕らえ、その動きを制すると、間髪入れず刃で斬りかかる。
魔力に圧迫され、動きの鈍くなっていたキーンは回避もままならず、幾筋かの傷を体と鎧に負わされた挙げ句、壁に叩きつけられた。
「さ、流石に伝説に名を残す魔族さん・・・・・桁が違う」
キーンは痛む身体に鞭を打って起き上がりながら口の中に溜まった血を吐き捨てた。
彼は考える。少なくても長期戦になっては、ただでさえ皆無の勝ち目が完全に無くなる。魔族の回復力は人間の非ではなく、ミラーとも比べ物にならない物であろう事くらいは予測できた。
『貴様も賞賛に値する。我にここまで手傷を負わせた人間は初めてだ』
「あんた、産まれた頃から最強だったって事かい?そんな長い間、生きていて人間の事をいちいち覚えているのか?」
『印象に深い人物はいつまで経っても忘れられるものではない・・・・・・・貴様もな。我に最初に手傷を負わせた人間として、永遠に覚えておこう』
「出来ればもう少し良い結果を残したいな・・・・最初に倒した人間とか言う歴史で・・・・・な!」
キーンが気孔弾を連射する。並の闘気士では気絶するだろう数の気孔弾をおかまいなしに放ち続け、セイファートも魔力の障壁で応じたが、数が結果に繋がったのか、数発に一発はその障壁を貫通し、その身体に着弾した。
《こんな人間が実在するとはな・・・・》
命中する気孔弾は、セイファートにある程度の『痛み』を与える事には成功していた。だが、障壁により威力が減退していたそれは、彼自身の強固な肉体に効果的ダメージを与えるまでには至ってはいない。
それでも、並の人間の力量を熟知しているセイファートには、今自分が受けている些細なダメージが、人間の定義を遙かに超えた物による結果である事を素直に認めていた。
基本的に人間を格下以下に見ている魔族にあって、セイファートは頑固な実力主義者という傾向がある。強い者は強く、弱い物は弱い。
過去、数例ある『人間に敗北した魔族』という歴史事実に対し、大半の魔族の評価は、まぐれの結果という定説がある中、彼は素直に相手の実力がその魔族を上回っていたのだと認めている。
無論、彼自身が人間に負けるなどとは微塵も考えていないところが、彼の魔族としての逃れられない性かもしれなかったが、キーンにとっての勝機はその一点にあるとも言えた。
『そろそろ無駄な足掻きは止めろ』
今尚続く攻撃を平然と受け止めながら、セイファートは足を進めた。着弾による爆煙や、魔法障壁に弾かれて壁や柱に誤爆して噴き上がる埃と煙で視界は殆ど失われていたが、キーンの攻撃の射線がその位置を彼に教えていた。
『後、二度程、攻撃で我を驚愕させる事が出来たら、そちらの勝ちとしても良かったが・・・・やはり人間では、ここまでが限界か・・・だが、誇りに思うがいい。我の記憶から、貴様は永遠に消えることは無いだろう』
ある意味、それは確かに栄誉な事と言えたかも知れない。知る由も無い事だが、魔族達の中ですら、セイファートに名を覚えてもらうという事は、かなりの身分か実力がなくては適わないのである。
彼を崇拝する者がいるとしたら、魔族・人間に関わらず羨ましがられること請け合いであった・・・・が、キーンにとっては何の感慨も湧かない事も事実である。
人の価値観は多種多様であるという、良い見本であった。
『華々しく散ってみせよ!』
間合いを詰めたセイファートは、彼なりの敬意を込めて、魔力放出による滅殺ではなく、腕を刃状に変形させての剣撃を繰り出した。
ダイヤより硬く硬化させた刃を超振動させての一撃であった。地上にあるありとあらゆる物を容易に切断できる一撃が容赦なく振り下ろされた。
「!?」
この世界の、どの様な防御も無意味な一撃が床にまで達したのは当然の現象であった。だが、手応えが感じられないのは、あり得ない事だった。つまりは目標を外したのである。それでも、気孔弾は今も眼前の煙から繰り出されている。
セイファートは、今度は爆煙の中の何処にいても捉えられるように、横振りに刃を繰り出した。にも拘わらず、それは相手を捉える事ができなかったのである。
セイファートは全身から軽く魔力を放出し、周囲の視界を遮る煙を一斉に吹き飛ばした。
「!」
半分予想していた事ではあったが、セイファートが目標としていた位置に、キーンは存在しなかった。ただ気孔弾が別方向から飛来して直角にカーブし、発射地点を誤魔化していたのである。
それを瞬時に理解したセイファートは、気孔弾の軌跡を逆に追って、キーンの姿を見つけた。その時の彼は、左腕を突きつけて気孔弾を連射しつつ、右腕はしっかりと拳を固め、腰の辺りで構えられていた。
『貴様、時間稼ぎか!』
『御名答!』
セイファートが吠え、次のリアクションに入るよりも早く、キーンが右拳を突き出した。そして、右手が前に伸びきる寸前、彼は指を拳の構えから、人差し指・中指・親指を突き出す構えへと変化させた。
突き出された指先を中心に、蓄えられていた『気』が圧縮されて放出された。通常、掌から放つ気孔波の放出面を最小限にして、貫通力を持たせたのである。
簡単に言うと、水道ホースの先端を押し縮め、勢いを増しているみたいなものだったが、今回に至っては、それが高圧放出されている事に問題がある。
つまりは、この方法にはかなりの負担がかかるのである。先の例の水道ホースにしても、放出口を小さくすれば勢いは増すものの、ホース全体に負担がかかり、ホースが外れたり、場合によってはホースが裂ける事態が生じる。
気孔波に関してもその理論は同様であり、ただでさえ攻撃手法として凝縮されている『気』を更に凝縮させる事は、無茶というよりは無謀という方が適切であった。これは並々ならぬ闘気士であるキーンにとっても該当する事であり、生じる反動は飛躍的に大きい物であった。
「くっ!」
キーンの顔が苦痛に歪んだ。気孔波圧縮放出の要である三本の指が、負担に耐えかね骨に亀裂を生じさせたのである。
だが、その効果はあった。決死の意志を込めた光の矢は、まっしぐらにセイファートへ伸び、ものの見事に彼の最も分厚い胸板を貫いた。
『おおおおおおおおおっ!!!』
セイファートが驚愕と苦痛を一纏めにして絶叫した。
本来なら気孔波が食い込んだ時点でそれを爆裂四散させ、相手を内部破壊するつもりだったが、指に受けたダメージの痛みによって、そのタイミングを外してしまっていた。が、そのミスを悔やんでいる暇もないキーンは、次なる攻撃のための行動に入っていた。
『よ、よもや最も頑強な部位を貫かれるとはな・・・・・賞賛には値するが、それ故に許せんものがある。何があっても貴様を滅する!』
かつて味わった事の無い痛みと屈辱に、セイファートが唸る。魔族でも屈指の実力者と言われても、人間に多大な手傷を負った事を知られれば、その実力に関わりなく嘲笑される事は目に見えている。そんな現実問題もあったが、それにも増して慣れていない苦痛が彼から冷静さを奪った。
セイファートが受けたダメージによって、一時視界から逃したキーンを再確認した時、彼はまた位置を変え、闘いの余波でひっくり返った棚から散乱したアイテム群の中から、一つの麻袋を拾い上げていた。
『今更ここにある程度の武具が我に対する道具となり得るものか!』
セイファートは既に周囲のアイテム群の固有波動を確認し、武具にしろアイテムにしろ、その中に自分に大きな害をなす類の物が何一つ無い事を知っていた。
したがって、彼が注意すべきは敵対者キーン自身の能力のみのはずであった。しかもそれが自身の精神力に依存する物だという事を既に把握しており、ここまでの短い間の激戦によるキーンの消耗度を伺い、予測した結果、これ以上のダメージを受ける可能性も低いと確信していた。
今の最大級であろう一撃が連射されれば、あるいは自分の(悪魔族の)持つ『生命核』を砕かれ、死に至るかも知れなかったが、危惧する程の行為が人間の肉体・精神で可能であるとも思えない。
それが例え、常識の範囲を逸脱している今の敵、キーンであったとしても・・・
つまりは、今の一撃が彼の限界だと判断したのであった。
だが、キーンが口にした言葉は彼の判断とは全く異なっていった。
「物は使いようさ!」
キーンが無傷の左掌をセイファートに向けて突き出す。その掌に光が集中し、気孔弾を形成する。
先程のような圧縮放出時の威力に達する事の出来ない気孔弾ではあるが、体外での生成であるため、肉体的な負担は全くないと言って良い。この方法で威力を上げるとしたら、それに込めるエネルギー量のみとなる。
セイファートは闘気士と闘うのは始めてであった。だが、遙か以前から生きていて蓄えた知識と経験が、その特性を見抜き、キーンのしている行為が徒労に終わるという判断を下した。
『無駄だ。人間の精神力のキャパで、我を倒せる程のエネルギー弾は形成できん。先程の手法のような一点集中攻撃でもすれば話は別だが、結局のところ、穴の一つ二つを穿ったところで、我は倒せぬ・・・・・』
「点の攻撃では、個々によって位置が違う悪魔の急所でも貫かない限り勝てない事は判っているさ。だから丸ごと吹き飛ばそうとしてるんだよ」
『!』
セイファートはここに召還されてから、自分が驚きの連続に直面している事を実感し、今も新たな驚愕を感じていた。キーンが作り出しているエネルギー弾=気孔弾が、際限が無いかのように巨大化していくのである。その大きさ・密度は既に彼が塔の緒戦で放った大気孔弾をも越えている。
肌で感じるエネルギー波を単純目算しても、そのエネルギー量は先の一点集中の気孔波をも上回っている計算になってしまう。
『貴様!本当に人間かぁ!』
セイファートも、今までのキーンの敵対者が抱いた疑問を本気になって唱えた。
その瞬間、キーンが歴史上最大級になる巨大高密度の気孔弾を放った。
セイファートの全長よりも大きい気孔弾は、完全に彼を捉えた。
『!!!!!!!!!』
彼の身体は眩い光に包まれ、絶叫すらも押し流して行く。そしてその直後、残りの気を左拳に込めたキーンが、セイファート向かって駆けだした。
気孔弾に呑み込まれたセイファートは、全身を燻すようなダメージに耐えていた。そこへ、周囲を囲む気孔弾のエネルギーの光をかきわけ、キーンが突進してきたのを目の当たりにした。
『!?』
自分の放ったエネルギー派の中に飛び込む。暴挙という言葉しか思いつかなかったセイファートの顔面に、キーン渾身の一撃が叩きつけられた。
ピシッ
セイファートの優れた聴覚が、キーンの拳の奥から微かな音をしたのを聞きつけた。彼の拳の骨の幾つかが折れたのだろう。
だが、それに数倍するだろう痛みと衝撃がセイファートを仰け反らせ、弾けさせた。身体のバランスが崩れてよろめき、キーンも殴りつけた反動で後方へと退く。
その直後、セイファートを取り囲んだ気孔弾が爆裂した。
この戦闘空間がセイファートの作り出した物でなければ、この塔は倒壊していただろうと思える程の衝撃が発生し、周囲を呑み込んだ。
巻き起こった爆煙が落ち着きを取り戻し始めた頃、床に仰向けとなって倒れていたキーンは、ゆっくりと身体を動かした。
自分で放った物とはいえ、常識を越えた気孔弾は術者もおかまいなしに、その凶悪的な衝撃波を周囲に振りまいた。
さしものキーンも、その煽りを受け流すことは出来ず、鎧の大半を破壊される程のダメージを受けて倒れていたのである。
ゆっくりと膝を立てて立ち上がろうとするが、急激にその力が失せてバランスを崩し、彼は両手を床に着けた。
「痛っ・・やはりすぐには動けんか・・・・」
手を突いた弾みで骨を痛めた両手に激痛が走り、顔を歪めるキーン。
辛うじて立ち上がるものの、両脚どころか腕までもガクガクと震え、激しい疲労を物語っている。アイテムの助力を得ていたとはいえ、やはり最後の気孔弾は彼の限界を超えていた。
そんな自分を見て、無謀すぎたと自嘲するキーンの眼前に、突如巨大な影が舞い降りた。
「!!」
セイファートである。
「やっぱ、生きてたか・・・」
倒せたとは思っていなかった。せめて行動不能になっていればと期待していたが、彼の全身全霊をもってしても、目の前の悪魔は健在であった。
だが、無傷でも無かった。高硬度誇った外皮は各所がボロボロになり、四肢も大なり小なり引きちぎられ、細身の突起物などは全て消滅していた。かなりの重傷ではあったが、魔族共通の再生力であれば程なくして再生される事だろう。
『当然・・・だ。しかし・・・・・暫くはまともに動けん』
眼下のキーンを見下ろし、穏やかな口調でセイファートが言った。事実、ダメージに再生が追いついておらず、彼の表皮の所々が剥がれ一部が灰の様に崩れていた。
「だが、俺の負け・・・・だな」
珍しくキーンが敗北を口にする。現状で逆転の要素が全くない事が、彼を素直に現実と向かい合わせていた。
『負け・・・・だと?』
意外そうにセイファートが言った。
「この光景を見て、誰が俺の勝利だって判定をする?やはり高位悪魔は人の手に余る存在だったな」
闘わずとも、常識を持つ人間で在れば理解できるはずの事をキーンは口にした。言い伝えのみを信じて最初から諦めることはせず、自分自身でやってみて始めて結論に至る彼だからこその発言であろう。
『悪魔と人間の盟約における闘いにおいて、悪魔の判定勝ちや辛勝などという物はない』
大きな顔をキーンに近づけてセイファートが唸る。本心的には不本意でもあったが、彼の眼は、どう言う角度から見ても、相手が人間であるという結論しか出さない。
セイファートには、やはり信じられない事であった。肉体的勝負において無敗無敵を誇る自分を傷つけ、かつて無いダメージを負わせた存在が、そうした面では眼中にもなかった人間だったのである。
運や偶然で得られる結果ではない。戦闘時はダメージを受けた事で自尊心が傷つけられ、
頭に血が上ったが、更に手酷いダメージを受けると、驚愕から、逆に事態を冷静に見つめる事が出来るようになっていた。
「では、続けろと言うか?」
『我の・・・・・負けだ』
「何!?」
『人間と悪魔・・・これ程までの肉体的能力差の中で、ここまでしてやられてとあっては、その力を認めない訳にはいかん』
「・・・・いいのか?」
『これは悪魔・・・いや、我のけじめだ』
人間にはあまり好まれないだろう異臭を含んだ息を吐き、セイファートが言った。
「・・・・悪魔ってのはもっとずる賢い存在かと思っていたよ」
『言葉の解釈や狡猾なやりとりを行う輩は三流だ。誇りある悪魔はプライドまで捨てはせぬ』
それはキーンの戦闘力を認め、従う事を改めて宣言する発言であった。
「律儀な御方だ・・・・」
キーンは世間に伝わる悪魔の認識を改めるべきだなと思った。
『だが、一つ聞きたい』
「ん?」
『最後の・・・あの尋常ではないエネルギー弾は、間違いなく精神力による物だったはずだ。そこに至るまでの闘いでも精神力を使った闘いを続けていたにも関わらず、どうやってあれだけのエネルギーが放出できる・・・・人間にあれだけの力があるとは到底思えん』
「たしかにな。だが、アレの直前に俺は言ったろ?物は使いようだと」
『何を用いた・・・・?』
「これだ」
そう言ってキーンは痛む右手で持っていた麻袋を見せ、中身を床にばらまいた。
『灰?・・・・いや、これは魔晶石のなれの果てか』
「御名答。ここにこれがあったのを思いだして。こいつに封入されていた精神力を利用したんだ。おかげで貴重な魔晶石全部が砕けて灰になってしまったよ」
『その中にあった魔晶石全てを?』
正確な容量は不明ではあったが、キーンの持つ麻袋の大きさと、落ちた灰の量から想像すると、大国の魔法使い一団の精神力をカバーできるだけの量はあったであろう事を察し、それだけの容量のエネルギー弾を作ろうなどと発想そのものに驚くと同時に納得もした。
『やはり貴様は絶対に人間では無い!』
状況を総合した結果、彼はその答えに辿り着く。
「失礼な奴だな・・・・・変身もしない純度100%の人間つかまえて、その一言は無いだろ」
『人間では無い!でなければ、我が人生の中で培ってきた人間という存在に対する知識が瓦解する』
これは本音であった。人類を遙かに凌駕している種族の中でも、トップクラスに位置する自分が、同胞にも受けたことのない大きな手傷を負った。それを成し得た相手がただの人間であってはならないのである。
「こだわるなって、人間は今でも億単位、あんたの寿命で見れば、素早く世代交代し続けているんだ。その行程で変わり種も出てくる場合もあるんだよ」
『突然変異と呼ばれる存在だな。我が一族にも人間との融合で異質の能力を得た者がいると言う話はあるが、実際に目の当たりにするのは初めてだ』
「と、突然変異・・・・せめて進化と言ってくれないか」
あまり聞こえの良くない言い様にキーンが抗議したが、それが、現在彼が敵対している連中の主張であった事を思い出し、彼は苦笑した。
『どうあれ、我は敗北を認めたのだ。古の盟約に従い、我、セイファートは汝に仕える。そして汝の命尽きるその日まで、忠実な僕としてその意志に従おう』
セイファートは記憶の片隅にあった人間の形式を真似、その巨体の片膝をつき頭を垂れた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・いいのか?」
結果的には手心を加えてもらったのに等しいキーンが、躊躇いがちに問う。
『言ったであろう。これは我のけじめだ。我が認めし主よ、我に何を求む?』
キーンは躊躇した。高位故であろうが、人間でもここまで厳格なプライド・・・・と言うより、頑固親父的資質は少ないであろうが、セイファートの実直的な性格そのものには好感を持てた。
故に、断ろうとしても、その正確故に引き下がらないだろう事を察したキーンは、相手の心情を受け取る決意をする。
「我、キーン・ファストに仕える誓いを立てた僕に命ず。失われた我の鎧となりて我が身を護れ。そしてその力の及ぶ限り、我を補佐せよ」
『御意!』
セイファートに不満はない。彼にとって、仕える期限となるキーンの寿命など、延びたとしても一瞬程度であった。だが、そうした一瞬と思えるような時間でも、こちらで驚愕に値する人間と供に在る方が、自分の住む世界で燻るよりは、余程ましだったと思えた。
セイファートの身体は、一旦スライム状から霧状へと変化すると、鎧の大半を失ったキーンの身体にまとわりつき、一瞬で彼の新たな鎧へと変貌した。
「・・・・・・・・」
キーンは自分の身体に視線を向けた。
それは鎧というよりはプロテクターと言った方が適切とも思える姿で、胸・肩・上腕~肘・脛~膝・両腰をガードする様に、見た目は甲羅状の物質のような物が装着されていた。
材質は不思議な物で、触れると像の革のような厚みのある、それでいて若干の柔らかさを感じさせるものの、強く叩くと石の様な硬度を持つのである。その上、装着者のキーンにはその重さが殆ど感じられず、全く動きの妨げにならなかった。
「凄いな・・・・セイファート?聞こえるのか?」
『もちろんだ我が主よ。いかに姿を変えようとも、我が意識が消えることは無い』
「で、鎧化したこれにはどんな御利益があるんだ?」
『物理的打撃に対する防御はもちろんの事、並の魔法攻撃では、我の発する結界に阻まれ、主の身に届くことはない。それに、心身の回復にも関与できる。もっとも、鎧という形態になっている分、本来の姿の時に比べて、若干効率は悪いがな』
「十分だ。命懸けで得た甲斐があるってものだ」
キーンは軽く飛び跳ねて、新たな鎧の調子を見た。軽く、運動の妨げにもならず、セイファートが彼の闘い方に適した形状となってくれた事を物語っている。
それと同時にキーンの体力と精神力がみるみる回復していくのも実感され、鎧が早速その特殊能力を発揮しているのだと実感された。
やがて最も痛みのあった両手の指のダメージも回復し、彼は完全に全快した。
セイファートが彼の配下になった時点で、異空間の結界は解除されていた。
元に戻った部屋の中でキーンは、愛用の二本の大型ナイフの鞘を背中に装備し直すと、主武器として唯一残った剣を拾い上げ、激闘を繰り広げた部屋をあとにした。
新たな力を手に入れ、意気揚々としていたキーンであったが、一歩部屋を出た瞬間、その表情は強張った。
出口の周りにかなりの数のモンスターが集っていたのである。それが一斉に部屋から出てきたキーンに注目した。
「・・・・・・ぅあ、タイミング悪ぅ・・・・」
既にミラーと言い張るための鎧は粉々となり、いまは全く違う形状の鎧に身を包んでいる以上、確実に全てのモンスターに敵と認識されただろう。
「何だっ?例の侵入者か!?」
「貴様っ!どうやって侵入したかは知らんが・・・・・」
衛兵っぽい出で立ちのトロル系のモンスターが、職務的台詞を言いきる前に倒れた。引き抜かれた剣が、トロルを両断していたのである。
「どうせ闘うのだろ?だったら面倒な前置きは無しだ!」
剣に付着した血糊を振り払い、その先端をモンスター達に突きつけでキーンは怒鳴った。
「てめぇ!」
モンスター達が咆哮をあげ、同時にキーンも床を蹴って相手の真っ只中に飛び込んで行った。
たちまちキーンを中心に乱戦が始まった。彼は状況に合わせて剣を捨て、二本のナイフを両手に取って、前後左右から繰り出されるモンスター達の攻撃を巧みにかわしながら、先頭に位置する相手を斬り、時には殴り、そして蹴りながら、着実に仕留めて行った。
今やセイファートの『鎧』のおかげで体力の充実している彼は、一撃一殺でモンスターを仕留め、圧倒的数の不利をものともせず、邪魔な敵を除去しつつあった。
数分もすると、最初にいたモンスターは全滅し、騒ぎを聞きつけて所狭しと集まっていたモンスターの密度も薄くなり、数の上での優勢を信じ切っていた低脳なモンスターにも敗北の色が読みとれる事態に至っていた。
そしてそんな気負いによる隙をキーンは容赦なく突き、戦闘か逃走かを迷う集団に対し、刃に乗せた気を叩きつけ、まとめて粉砕する。
雑魚は敵となり得ない。そんな思いが彼に油断を生じさせたのか、キーンの繰り出した左右同時攻撃(二刀一閃)をかいくぐって一匹のモンスターが間合いを詰め、刃状になっている右腕を突き出し、彼の眉間を狙って来た。
「!?」
技の間隙を突かれたキーンであったが、大きく体を仰け反らす事で、その一撃をやり過ごす。
「こいつっ!」
それが雑魚とは異なる存在であることを悟った瞬間、突き出されていた刃が降ろされた。弧を描くように仰け反っているキーンを、そのまま縦に切ろうというのである。
「くっ!」
またも間一髪、キーンは身体を右に捻って寸前のところで刃をやり過ごすと同時に、捻った体の勢いに合わせて左足を振り、相手に蹴りを繰り出した。
しかしそれは、相手が僅かに身体を引くことで避けられ、またも攻撃の間隙を縫う突きが繰り出される。しかしそれは、キーンの予想範囲内での事であり、彼は左足が空振りしたと同時に今度は右足を繰り出しており、時間差で放たれた彼の右踵が、突き出されようとしていた刃の腹を捉え、その動きを牽制した。
蹴りの勢いの分キーンの方が勝り、両腕を刃状にしたモンスターの姿勢が崩れた。
「もう一発くらえっ!」
着地したキーンが間髪入れず床を蹴り、今度は下から突き上げるような蹴りを繰り出し、その態勢が不利と悟ったモンスターは一旦間合いを取るように後ろへとバックステップした。
キーンも、蹴り上げた勢いのままバック転を行い、相手との間合いを取った。そこで両者はまともに対峙する。
「雑魚の中に紛れてたか・・・自称進化した存在・・・が・・・・」
ナイフを十字に構え、キーンが呟いた。
「今の攻撃が掠りもしないとは思わなかったぞ。あの二人を退けたのは偶然では無いという事だな」
キーンに対する様に刃となった両腕を構えたモンスターが言った。
「誰の事を言っているかは知らんが・・・・・いつぞやのカマキリの同類か」
腕が刃状という身体的特徴が合致する相手を思い起こしてキーンは呟くと、両手に持ったナイフの柄の底同士をカチリと接触させた。
「カマキリ・・・・?あの程度と同類視されたくはないな。更に高度な能力を得た存在だ」
両手が刃のモンスターが床を蹴った。
体格的にはカマキリ型とは正反対のシルエットであったが、それより遙かに俊敏なスピード迫る相手に、キーンは一度接触させていたナイフの柄を外す。すると双方の柄の間に細い糸が垂れ、二本のナイフを繋げていた。
「高度だろうが何だろうが、俺から見れば倒すべきモンスターでしかない!」
キーンは右手のナイフを手放し、左手のナイフを振るった。それによって、糸で繋がれたナイフが弧を描いて、相手の予想しなかった角度から飛来する。
「!?」
モンスターは戸惑った。こうしたヌンチャクに似た使用方法は、剣とは全く異なる戦闘スタイルである上にリーチにも差が生じ、完璧に虚を突かれた形となった。
モンスターは辛うじて身を傾けてそれをやり過ごす事に成功したが、そこへキーンの右拳が追い打ちをかけた。もともとこちらの攻撃が本命であり、不意打ちに慌てたモンスターは、初手をかわすことに囚われすぎて、この一撃に対応できず、まともに吹っ飛ばされ壁に叩きつけられた。
「止めっ!」
今の一撃は、並のモンスターであれば痛打になっていたであろうが、あの手の特殊型に対しては決定打に欠けていた。手応えでそう判断したキーンは、すぐさま突き出したままの右拳に気を込め、それを放った。
「ひっ!」
死をもたらす光弾の接近を目の当たりにして、モンスターは小さな悲鳴を上げた。双方が不可避と認める一撃であったが、それは本来の目標に命中する直前、横合いから出てきた大きな影に遮られた。それは、新手のモンスターであった。パワー重視と一目瞭然のシルエットに昆虫を連想させる甲殻を持ったモンスターが、盾となってキーンの一撃をその身で受け止め、無傷な状態として立っていた。
「えらく頑丈だな」
不意の乱入者の襲来そのものより、その頑強さに興味を示すキーン。
「貴様の一撃が脆弱なんだ。その程度では、俺の装甲に傷一つつけられんぞ」
「別に、あんたを倒そうと思って放った訳じゃないさ」
以前にも同様の自慢をした奴がいたなと思いながら、先程の相手を仕留め損なった事に舌打ちするキーン。
「なら俺と砲撃戦勝負と行こうか?」
キーンの負け惜しみを軽く嘲笑し乱入したモンスターが、軽く身を屈めると、甲殻装甲の各所が開き、その中から無数の球体が姿を現した。
「!?」
毎度変身系の特殊モンスターには驚かされる事ばかりであるが、キーンにはその球体が何か見当がついていた。
(例の熱戦!)
ゼルと名乗ったモンスターや、塔攻略初期に闘ったモンスター特有の嫌な雰囲気で、その事態を察したキーンは、ともかくも間合いを取った。
と、その刹那、各所の球体から一斉に熱線が放出された。それこそ熱線の雨とも言うべき物で、各所から時間差をつけての連射と想定していたキーンは面食らった。
とっさに身をかわすものの熱線の一発が左腕をかすめ、激痛と共にその部分を焼き、炭化させた。
「うぐあっ!!」
経験した事のない激痛にキーンは思わず呻いてひざまずく。すぐさま鎧と化したセイファートがその特殊能力を発揮し、損失した主の腕の一部の再生に取りかかったが、彼が寸前に身を引いて間合いを開けていなければ、致命傷を受けていた可能性もあった。
だがそれでも彼は運の良い方であった。何の予告もなしに、広範囲に熱戦が放たれたのである。生き残って事態を傍観していた雑魚モンスターも当然それに巻き込まれ、かなりの数が炭となって命を失っていた。
僅かに残った雑魚達は慌てて逃げだし、その場には三体の見慣れぬモンスターとキーンだけが残った。
「なんてデタラメなヤツだ、一度にあれだけの熱線を放つなんて・・・・・」
「少しは驚いてくれたか?こっちも人間がゼルとカールを退けたと聞いて驚かされたんだ、その位はなくてはな・・・・・」
熱線を放ったモンスターの脇に立つ、三体の中では一番巨躯なモンスターが、勝ち誇った声を上げた。
「ゼル?カール?」
聞き覚えのある名称を耳にして、僅かにキーンが反応した。
「お前等、何者だ?あの人とどこまで関係がある?」
あの人とはカールの事を示している。その名が絡む時、キーンにとっては重要な意味が出てくるのである。
「奴はどこまで話した?我等は最強を自負する傭兵団の頭領を勤める者だ」
両腕が刃のモンスターが言った言葉に、キーンの表情が如実に変わった。
「この塔の主は我等の依頼主でな。それに応じて派遣したゼルを退け、同朋のカールを倒した貴様に対し、仕事として死をもたらす為にやって来た」
びしりと刃の先端をキーンに突きつけ、モンスターは言った。
「そうかい・・・・最強の傭兵団の頭領か・・・・で、名前はあるのか?」
「我が名はゼニス」
熱戦を放ったモンスターが言った。
「ザブレ」
と、こちらは両腕が刃のモンスター。
「ダングス」
最後に最も巨躯の、サイ人間という表現が相応しく思えるモンスターが言い放った。
「そうか・・・・・会えて・・・・会えて嬉しいよ!」
不敵な笑みを浮かべて立ち上がるキーンに、ゼニス達は妙な威圧感を感じた。その感覚は主の治療を施すセイファートにも感じられ、その手の感情のより強い感知力がある彼は、それが強烈な『憎悪』である事が理解できた。
「俺は・・・・あんた達を探していたんだ」
「何だと!?」
「お前等の売名行為のために滅ぼされた故郷の恨み、今、此処で晴らさせてもらう!」
「何?」
言うが早いか、キーンが再生したばかりの左腕を突き出し、気孔弾を連射した。その全てがゼニスを目指し直進する。
ゼニスは自分の装甲の強度に自信を持っており、その攻撃を真っ向から受けると、無傷の姿を誇示しながら反撃とばかりに熱線を繰り出した。
キーンもゼニスの攻撃パターンを知り、最小限の回避で熱線をかわし、気孔弾を連射し続ける。その間、ダングスとザブレは左右に展開し、砲撃の応酬の死角へと回り込んで背後からキーンに迫った。
「死ねぇ!」
俊敏力で勝るザブレがいち早く接近・跳躍し、両腕の刃を振りかざした。
キーンは三人の位置を気で素早く把握し、ゼニスが味方に命中させてはまずいと、熱線攻撃を中止した瞬間、ザブレに向かって跳躍して彼との間合いを詰め、両腕の刃が繰り出されるより早く、相手の両腕の刃となっていない部分を殴り上げ、その攻撃を制し、動きの止まった相手に蹴りを入れた。
ザンブレードを蹴り飛ばし、自らもその反動で移動すると、今度はほぼ反対方向にいたダングスへ向かって駆け出すキーン。
「おのれっ!」
ダングスは己の動きがメンバー中最低と知っていたため、無駄な回避を行わず、相手が来るのを待ち、間合いに入った瞬間、最強を自負するパワーを込めた右拳を突き出した。
キーンにはオーガーすらも軽く一撃で撲殺できそうな一撃を正面から受け止めるつもりは毛頭無く、身を屈めてやり過ごし、カウンター張りに自分の拳を相手の腹に叩き込んだ。
「!?」
致命傷とはならずとも、多少の効果はあるだろうと想定されての一撃であったが、その目論見は甘かった。ダングスは、その巨躯に見合った、分厚く柔軟性のある表皮に覆われており、ゼニスとは違った形で物理的衝撃に対する高い防御能力があったのである。
キーンがその事に気づいた時には、ダングスが懐に入った自分に左腕を掬い上げるように繰り出していた。
「くそっ!」
キーンは右腕をかざしてハンマーのようなダングスの一撃を受け止めにかかった。命中の直前、腕のプロテクター部分が増殖して盾状になり、その一撃を受けた。これもセイファートの機転によるものである。
彼の変形した盾は確かに痛烈な衝撃を緩和した。だが、その全てを相殺しきれたわけでもなく、抑えきれなかった反動が装着者のキーンに襲いかかり、彼の身体は数歩分後ろに後退した。
「しまった!」
キーンは舌打ちした。身体に対するダメージは微々たる物であった。バランスを崩し数歩後退しても、ダングスの俊敏性ならば即応できた。だが今は一対一で闘っているのではない。ザブレの突出もあり得たが、それよりも先に、現状は、少しはなれた間合いで待機していたゼニスの格好の標的になっていたのである。
チャンス!とばかりにゼニスの球体が輝いた時、キーンは床を蹴って現状で進みやすい方向にいたザブレに向かって再度駆け出して行った。
その半瞬後、彼のいた空間を熱線が薙ぎ、移動する目標を追った。
キーンは背後に迫る熱線を気にせず、そのままザブレに対して二本のナイフを構える。そしてザブレも、今度は不覚を取らないとばかりに、両腕の刃を小さく掲げ、小振りで攻める体勢をとっていた。
「今度こそ切り裂いてやる!」
ザブレも駆け出し、その間合いを急速に詰めた。
キーンの体が相手の間合いに入る寸前、彼は気孔弾を自分の足元に放って爆裂させた。その衝撃で床に穴が空くと、彼は迷わずその中に飛び込んでいく。
「「何!?」」
ザブレの刃が目標を失って空を切り、ゼニスの熱線も味方に命中する恐れを感じて攻撃を止めた。
「逃げた!?」
ほとんど反射的にザブレが床の穴に近づき覗き込む。
「ま、待てザンブレード!迂闊に近づくな!」
ゼニスが慌ててそれを制止しようとしたが、既に遅かった。
ザブレのすぐ背後に、直径1メートル弱程の気孔弾が床を突き抜け舞い上がり、そこに出来た穴から、気孔弾に続くようにしてキーンが飛び出したのである。
「!?」
ザブレが異変を感じて振り向いた瞬間、キーンのナイフが振り上げられ、彼の両腕が切断された。
「があああああああ!」
ザブレが苦痛と驚きを含めた悲鳴を上げ、その間にキーンは床を蹴って更にジャンプして天井近くまで上がったかと思うと、くるりと身体を反転させて天井を蹴り、落下速度を増してザブレに向かった。
「「ザブレェ!」」
ダングスが駆け寄り、ゼニスが熱線を放とうとするよりも早くキーンは攻撃の間合いに入っていた。
「二刀一閃!」
武器を失った相手に止めの一撃が加えられ、ザブレは三枚におろされたように切断されて果てた。そしてキーンはそのままの勢いのまま、自らが開けた穴に飛び込み、再び敵の前から姿を消した。
「くそっ!ダングス、俺の背後についてカバーしろ」
「お、おうっ!」
二人は背中合わせの体勢をとってキーンの奇襲に備えた。互いの死角を補うという形としては理想的であったが、襲撃される事が分かっていながらそのタイミングが分からないという状態での待機は、待つ側に急速な精神的疲労を強いる事となる。
待つこと数刻、ゼニスに焦燥感が募り出した頃、彼は自分の知覚がある種のエネルギーの収束を感じ取った。人によって感じ方は異なるが、それは間違いなく闘気士の気孔の集中によるものであった。カールという仲間がいなければ正体の分からなかった波動を感じ、ゼニスは敵の位置を悟った。
「そこかっ!」
ゼニスが左腕を突き出し、そこに設置されている全ての熱戦発射器官から熱線を一点放出させた。熱線は床石を貫き、見えない位置にいる相手に向かって突き進む。
さすがに命中の有無は分からなかったが、リアクションは生じた。ゼニスが熱線を放った直後、彼が見当をつけていた位置の真上に当たるだろう床が崩れ、その中からキーンが飛び出したのである。
「モグラめ、出てきたか!!」
待ってましたと言わんばかりにゼニスが残った発射器官から一斉に熱線を放つ。ドラゴンすらも灰に出来る威力を秘めた熱線がキーンを直撃したと思った瞬間、熱線は見えない壁に阻まれたように目標からそれて本来の目標物ではなく、床や天井を焼いた。
「何だと・・・」
ゼニスは絶句した。いまの現象が気孔障壁の防御と推測した彼ではあったが、あれほど完璧に自分の攻撃が弾かれるとは思っても見なかった。だが実際には、今の現象はキーンではなく鎧のセイファートの能力によるものだった。
魔法が関与した攻撃であれば、並大抵の攻撃は霧散させる事の出来る彼であったが、事、物理攻撃にはそう言った力場は働かない。だが、どの種の攻撃が来るかが分かっていれば対応する事が出来たのである。
戸惑いを見せるゼニスに、キーンは右腕を突きつけた。
「望み通り砲撃戦だ!」
そして気孔波が放たれた。
「何を!」
迫る一発の気孔波に、ゼニスは直立して受けにかかった。自身の頑強さに対する信頼と、相手の攻撃が一発である事が彼に慢心を生んだ。
彼はあまりにも闘気士の事を軽視していた。それは変身型モンスターの中にあっても極めて優れた能力を持っていたために、その力を過信しすぎていたのかもしれない。
気孔弾と気孔波の違いが理解出来ないままそれを受けたゼニスは、その時になって初めて気孔波の威力を思い知り、自慢の甲殻装甲を破壊されて吹っ飛んだ。
「ゼニス!!」
キーンが現れた事によって戦闘体勢をとってゼニスの背から離れていたダングスは、その事によって気孔波の巻き添えを食らうという災難から逃れる事が出来た。彼は全身の甲殻を損傷させて床に倒れた仲間を見て、憤怒の形相となった。
「貴様っ!!」
ダングスはキーンとの間合いを詰め、最も秀でている腕力を生かした右拳を繰り出した。一方でキーンも、今度は避けるどころか、逆に合わせるように右腕を繰り出していた。
「正気か!」
そう思ったダングスであったが、彼は互いの拳が衝突する寸前、キーンの腕のプロテクターが拳を包み淡く光ったのを目撃した。
「!?」
鈍い音と共に両者の拳が衝突し、威力で劣った側の拳が砕けた。
「あっ・・・ああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!?」
ダングスが悲鳴を上げて砕けた右腕を押さえた。その眼差しは信じられないものを今、眼前にしているという色が濃く出ていた。
キーンは、鎧のサポートと気孔による強化で、相手の拳を上回る破壊力を瞬間的に引き出したのである。
彼はダングスが激痛にのたうつ間に構えを拳から手刀へと変え、そこに再び気を込めた。その容量は手を覆うにはあまりにも多く、溢れた気が術者の意思により指先から放出され光の剣のような形状を形成する。
「はっ!」
気合と共に手刀が振られ、気の刃に触れたダングスの身体はバターのように切り裂かれ、二つになって倒れた。
「馬鹿な・・・・・あいつは・・・・カールとほぼ互角の実力だったはずだ・・・・それが何故・・・・」
横たわったままその光景を見ていたゼニスが、自分達の完全敗北を目の当たりにして呻き声を上げた。
「ほ・・・・まだ生きていたのか」
その声を聞いたキーンは、既に戦闘能力を失ったゼニスの元へと歩み寄り、横たわる彼を見下ろした。
「貴様・・・一体・・・・」
「闘気士ってのは、闘う都度、強くなれるんだよ。元がどんな人間かは知らないが、変身して人間の持ち得ない能力を持った程度で人類を超えたなんて思っている連中に・・・・・何よりあんた達に負けるつもりはないさ」
勿論それだけではなく、彼等と遭遇する前に得た新たな鎧=セイファートの能力にも助けられての事ではあった。
でなければ今頃の彼は片腕で戦う羽目となっていたはずなのである。
「呆気ないが、とりあえず、積年の恨みをここで清算させてもらおう」
キーンは倒れているゼニスに掌を突きつけた。
「何?何の話をしている・・・?」
「カールに手引きされて滅ばされた傭兵の村の話さ・・・・・そこの生き残りより、恨みを込めて!」
「!!」
ゼニスが相手の正体を理解した直後、キーンの放った気孔弾が彼に止めを刺した。甲殻という鎧を失ったゼニスの身体は容易く四散してバラバラとなり、この瞬間、キーンの生涯をかけていた目標が達成された。
だが彼はそんな感傷に長く浸る事もなかった。彼にとっての復讐は、事の大本とも言えるカールを倒した事で決着がついていたに等しかった。
キーンはそれぞれの亡骸を一瞥すると、闘う事でしか価値を見出せない存在の末路はこんなものだろうなと思い、自分の既にその一人であることを意識しつつ歩を進めた。
もはやこのフロアで彼を止めようとする者は存在しなかった。ゼニス達の敗北を目撃したモンスター達の話がすぐにフロア全体に広がったのが原因で、彼等の力が知れ渡っていただけに、見かけが脆弱な人間だったとしても迂闊には手を出せない状況になっていたのである。
彼等に出来る事は、せいぜい回りを取り囲む事であり、それもキーンの動きに合わせて囲いを移動させるという程度の事であった。
そんな彼がこのフロアに囚われている女達を一斉解放するのは容易な事であった。
あとがき
キーン最終形態(装備)へのエピソードですが、そもそもは既に決まっていた魔王との決着のシーンの為に必要なアイテム会得の為に作りました。
つまりは決着の手段の為に用意された闘いでした。
その決着シーンに必要だったのは、言ってしまえば回復能力であり、
①鎧
②身につけるアイテム
③薬品
等の候補がありました。
戦闘中の使用と言うことで、③が除外され、更に魔王との実力差をカバーする意味合いも含めて①の鎧タイプとなりました。
『悪魔』の擬態鎧にしたのは、単なるアイテムでは回復が追いつかないというイメージが脳内をよぎったため、古代アイテムをも越える物として使用しました。
悪魔関連の設定はこれまでに聞き知った物(魔法陣で召喚や生贄などの取引等)を元にして塔の世界用にアレンジした思いつきです。
登場した悪魔セイファートは、既存の悪魔常識からすれば、かなり異端者でしょうね。
無謀な闘いを挑むキーンに考え直す事を忠告するあたり、あり得ない事です。
ある程度手加減していたことも否めず、興味を持った対象を観察したい欲望に駆られてしまったとも言えるでしょう。
以降のキーンの覇道は、「彼」の存在なくしてはあり得なかったでしょうね。
キーン最終形態(装備)へのエピソードですが、そもそもは既に決まっていた魔王との決着のシーンの為に必要なアイテム会得の為に作りました。
つまりは決着の手段の為に用意された闘いでした。
その決着シーンに必要だったのは、言ってしまえば回復能力であり、
①鎧
②身につけるアイテム
③薬品
等の候補がありました。
戦闘中の使用と言うことで、③が除外され、更に魔王との実力差をカバーする意味合いも含めて①の鎧タイプとなりました。
『悪魔』の擬態鎧にしたのは、単なるアイテムでは回復が追いつかないというイメージが脳内をよぎったため、古代アイテムをも越える物として使用しました。
悪魔関連の設定はこれまでに聞き知った物(魔法陣で召喚や生贄などの取引等)を元にして塔の世界用にアレンジした思いつきです。
登場した悪魔セイファートは、既存の悪魔常識からすれば、かなり異端者でしょうね。
無謀な闘いを挑むキーンに考え直す事を忠告するあたり、あり得ない事です。
ある程度手加減していたことも否めず、興味を持った対象を観察したい欲望に駆られてしまったとも言えるでしょう。
以降のキーンの覇道は、「彼」の存在なくしてはあり得なかったでしょうね。